阿部 志郎
小学校5年生の時、1年生~3年生までクラスの担任だった男性教諭のI先生から“地図模型クラブを新しく始めるので一緒にやらないか”と勧誘された。
興味があったので指定教室に行ってみたら、数人が集まっていた。
窓越しに見える越後山脈などを立体的に作ってみたいと思わない?
I先生は“それを実現するクラブだよ”と前置きし地図模型製作方法の説明を始めた。
国土地理院製作の1/5万分縮尺の地図をボール紙(当時はバフン紙)の上に置き、その間にカーボン紙を挟み40メートル間隔(20メートル間隔で等高線は引かれているので1本毎)で各標高の等高線に沿って鉛筆で一枚一枚写し取ってゆく。
ボール紙の厚さは1/5万分縮尺相応の標高である。
各標高で引かれた線に沿い刃先の平坦な彫刻刀で切り取り積み重ねると完成である。
製作工程が単純なので皆は乗り気になり、まず五頭連峰から始める事にした。
後日、五頭連峰の地図と三条市金物店製作の平型彫刻刀が用意されクラブ活動は始まった。
しかし等高線は細かく白黒印刷で目が疲れ、彫刻刀でのカットは指先に豆を作る。
かくも作業は難渋し脱落者が出始めて、クラブは解散状態になった。
しかし、私は少しづつ積み上げて形にする作業過程が好きになった。
完成した地図模型に色彩を施し、この上ない達成感を味わった(写真1)。
これが地図模型との出会いである。
小学校6年生の修学旅行は磐越西線の列車で会津・裏磐梯に宿泊した。
五色沼の神秘な色や爆発で吹き飛んだ裏磐梯山の大きな窪みに驚いた。
それを手元で立体的に再現すべく磐梯山の地図模型を製作した(写真2)。
中学3年生の修学旅行は東京だった。観光バスで箱根、芦ノ湖を訪れたが生憎の雨。
地図模型で箱根の外輪山、地獄谷、火口湖(芦ノ湖)を再現。模型は学校に寄贈した。
高校一年生の時、希望者を募った夏期登山の企画があり白馬岳登山に参加した。
初めて見る北アルプスの山肌は白くハイ松の緑が眩しい。緑の草原に白馬大池の湖面、左側が大きく切り崩された稜線を山頂へ向かうと、遠くに下界が霞んでみえた。
山頂の近代的な山小屋で宿泊、翌日に大雪渓を下山した。
三千メートル(M)級のアルプスはボール紙で(3000M/40M)75枚が必要です。
長い時間こつこつボール紙を積み重ね約2ヵ月を費やした。
山頂が近づき切る面積が狭くなり積みあげるスピードが増す。最後は深夜1時だった。
頂上に最終ピースを乗せ終えた時、無上の感激に身震いした事を今でも忘れない。
白馬大池、大雪渓、白馬岳山頂に至る稜線の大きな断崖絶壁など、思い出の景観を手に触れ眺められる形態に残せたのは大きな喜びでもある。
地図模型の製作は、登山にも似た感覚を味わえるものです。
診療所開業後、立山連峰の雄大さを体験しようと立山・黒部アルペンルート行きを企画した。
立山連峰の裾野に広がる溶岩台地・弥陀ヶ原は池塘で植生が豊な高山植物の宝庫である。
宿舎から眺めた朝焼けの立山連峰が仏の寝姿に見え“弥陀ヶ原”のネーミングに納得した。
翌日は室堂に宿泊。散策路の下方には硫黄臭漂う地獄谷、みくりヶ池は火口湖。
夕方、富山平野の遥か彼方に夕日が周囲の山々をシルエットにして鮮やか沈んでいった。
早朝、立山を貫くトンネルを通り後立山から黒部湖越しの山稜から登る朝日を拝んだ。
1時間後、室堂に戻り立山連峰から二度目の朝日を拝んだ。ミラクルな体験だった。
立山の地図模型(写真3)
写真左の平坦な弥陀ヶ原を上り詰めると最高峰雄岳、後立山へ下ると黒部湖がある。
黒四ダムの先は黒部峡谷が続き、高度な登山者しか拝めない“十字谷”が存在する。
後立山には氷河が作るカール地形がみられ、日本にも氷河があったらしい。
東海道線を通った時、列車の窓から頭を下にして富士山を眺めた記憶がある。
富士山はそれ程高い山なのだという印象である。
東海道新幹線から眺めるたびに、コニーデ型火山の優雅さは山裾から頂上に至る曲線の美しさだと思っている。山高きがゆえに尊っとからず…山裾の広さは人徳に値するかも。
富士山を近くから撮影しようと身延線から迫ったが…生憎の雨で残念な思いを…。
富士山の地図模型(写真4・5)
模型でも、山裾の美しい曲線美が神々しさを現せているようです。
周囲の山々も視野にいれ、富士山の高さを強調してみました。
地図模型の製作過程は登山と同じです。登山者が一歩一歩と歩むのは、彫刻刀で1つ1つ切り進むのと同じです。一枚一枚積み重ねてゆく行為は時間を形にします。
少しづつ形になる過程を楽しみつつ、穏やかで豊かな時間を過ごせます。
これが私にとって最高の癒しのひとときなのです。
写真1 五頭山の地図模型。最初の作品
写真2 裏磐梯山の大爆発による窪地と全景
写真3 立山連峰の地図模型。左の高原が弥陀ヶ原、山頂の雄岳より後立山、黒部湖から黒部峡谷
写真4 コニーデ型火山である富士山の優美な姿
写真5 富士山の標高3776メートルを周囲の山々を視野に入れ強調した
(令和6年8月号)