黒田 千亜紀
現在のピアノの鍵盤は大部分の人の手に合うように設計されているかというと、実はそうではありません。1880年代、当時影響力の強かったヨーロッパの男性ピアニストらの手に合わせられたのだといいます。衝撃ではありませんか? 巨大とも言える名ピアニストの手に合った鍵盤。3歳児から関節の硬いおばあちゃままでが悪戦苦闘して、そのピアノ人生を大き過ぎる鍵盤に捧げています。2023年1月の同じコーナーでピアノの鍵盤幅が固定されている現状の不条理を訴え、改革を望む文章を掲載させていただきました。その後私は幸運なことに細幅鍵盤を組み込んだ複数のグランドピアノを入手し、協力者に貸し出して演奏の感覚を掴んでもらい、広報に力を貸していただいています。ここ数年で、国内でも欧米に負けず、鍵盤革命がグッと現実味を帯びてきました。声を大にして訴えたいのは、手を広げた時の親指と小指の先の距離が23センチを上回るような大きな手の人達でさえもユニバーサル鍵盤を好むことが検証されたということです。つまり、現状に特段の不満を持っていない男性を含む殆どの演奏者にとって、今よりも細幅の鍵盤の方がより良い演奏を可能にするということがわかったのです。
現在普及している鍵盤の幅はオクターブが6.5インチ(約16.5cm)。研究者らによると世界中のピアノ演奏者全体にとってのユニバーサルな鍵盤サイズは6.0インチ(15.2cm)、殆どの女性演奏者にとって相応しい鍵盤サイズは5.5インチ(14cm)になります。ドイツのシュトゥットガルト音楽演劇大学で使われている細幅鍵盤サイズの規格はSirius 6.0です(ピアノ科の教授、学生達の演奏と感想の動画がYouTubeで観られます)。鍵盤を変更してもピアノ本体の音色は何ら変わりません。
2022年6月、式守満美さん(ロンドンを拠点に世界的に活躍するピアニスト)は、ストレット・国際ピアノフェスティバルに出演した際の感想を以下のように述べられています。
(前略)「手が大きくなるピアノSirius 6.0 Piano」で演奏することは、もし手が大きかったら、ピアノを弾くのはどんな感じか体感する事です。ピアノの鍵盤は、いつも一定である必要はないという、発想の転換!「手が小さくても、ピアノは弾ける!手の大きさは関係ない!」と豪語してきた私ですが、「手が大きくなるピアノ Sirius 6.0」のことを初めて聞いた時は、自然と涙が溢れ、自分がどれだけ大きな手を欲していたかを痛感しました。プログラムの中では、これまでに何度も弾いてきたベートーヴェンの「熱情」ソナタも演奏します。「熱情」の最終楽章の地獄のようなクライマックスでは、普段無理に広げていた和音が楽々ととどきます。「手が大きな式守満美は、こういう弾き方ができる」というのを、ぜひ皆様にもご覧いただきたいです。(後略)
いかがでしょう? プロのピアニストは手が小さいことが演奏の妨げになっていると痛感しながらも、言い訳になることを恐れて決して口にしません。技術の高い、努力を重ねてきた演奏者ほど、細幅鍵盤で弾くことがどれだけ芸術的に価値ある事か実感できると思います。それは確実に演奏を容易にし、曲の難易度を下げ、疲労や障害を軽減し、パワフルにも、繊細にも、表現の幅を広げます。私の体験では、細幅ならばオクターブは勿論、アルペジオ、半音階のスケール、最高、最低音域の演奏、全てが楽になり、あれほど苦しく、指を傷めた「愛の夢」が拍子抜けに楽になり、以前の自分が気の毒になります。ある曲の演奏に際して、標準鍵盤では音の跳躍を伴う変則的なリズムを上手く弾けませんでしたが、細幅鍵盤で弾いてみるとリズム感を掴め、その後標準鍵盤に戻ると、以前は弾けなかったテンポ、リズムで弾けるようになったのです。これは学習時、手に合ったサイズの鍵盤で練習することの重要性を示唆する発見でした。跳び箱をするのに、いきなり10段から始める人はいません。簡単な高さでコツを掴んで徐々に高くしていきます。ピアノ界は何故、そんな当たり前のことを見過ごしてきたのでしょう。
ピアニストの手の障害について、酒井直隆医師は著書の中で「100例以上のピアニストの治療で調査したところ、8割近い者がオクターブ等の手を広げるテクニックが原因だったと記憶していた」と述べています。しかも、手の大きなピアニストですら手を広げることで障害を負っているのだそうです。児童生徒のスポーツによる身体の障害を早期発見、予防するために整形外科医、学校医が尽力している一方で、成長過程の若年者にとって最も身近な楽器とも言えるピアノの鍵盤が不適切なサイズであり、手の障害の危険性を高めている現状を無視してはならないと強く思います。生き甲斐、趣味の喪失のみならず職業選択の幅を狭めることにも繋がります。
現在、細幅鍵盤ピアノを体験していただける機会を様々計画し実践しています。2025年2月22日~3月2日の期間限定で、ヤマハミュージック新潟店にて展示し試弾も受け付けます。より狭い鍵盤を体験することなく、ピアノ人生を終えないで下さい。一度弾けばわかります! エチュードが、バラードが、憧れの名曲の数々が、今よりずっと心地よく弾けるピアノがそこにあります。皆様の共感が鍵盤革命を成功へと導きます!
オクターヴ演奏時のX線像
『ピアニストの手』
酒井直隆 著より
現在の標準鍵盤でドミソド
ユニバーサル鍵盤でドミソド
ステージ上で鍵盤を入れ替える様子
細幅鍵盤ヤマハコンサートグランド
舞台袖に組み替え用鍵盤を置く
(令和6年12月号)