永井 明彦
3年半経っても延々と続く宇露戦争(ロシアによるウクライナ侵攻)は、今年の復活祭に停戦が画策されましたが、イースター停戦は残念ながら日の目を見ませんでした。ウクライナ軍の犠牲者数も相当なものですが、広く国内外から経済徴兵を行った上に無謀な伝統的人海戦術を採用し、督戦部隊も存在するロシア軍の死傷者はさらに多く、遂に100万人を超えてしまいました。21世紀になっても人命がこれほど軽視されるとは驚くほかありません。侵略されても強靱な抵抗を続けるウクライナと、戦争プロパガンダに晒されて政府に逆らえないロシアの両国民の気持は如何ばかりか、神も仏もないものかと暗澹たる気持になります。
そんな中、今年の復活祭の金曜からEaster Sundayにかけて、J.S.バッハ作曲の『マタイ受難曲』をYouTubeやCDで数多く観聴きしました。中でも受難曲の白眉ともいえる第73曲の合唱“Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen(げにこの人は神の子なりき).”を繰り返し聴いて感慨を新たにしました。このフレイズは人類の原罪を一身に背負い、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたイエスが地震後に復活し、周囲の人々が驚いて唱う、たった3小節の短いものです。バッハの自筆譜を見ると、十字架が浮かび上がり、三位一体を思わせるフレイズですが、1958年録音の有名なカール・リヒター盤では、光が天から地上に降り注ぐように1分近くかけて朗々と唱われます。テンポの速い最近の演奏では、15秒~30秒でアッサリ終わってしまって物足りないのですが、『マタイ受難曲』のクライマックスであるこの部分の詠唱は、こうでなくてはといつも思います。それにしても2000年経っても、人類には戦争や虐殺を通じて未だに多くのサクリファイスが必要なのかと、キリスト教徒でなくても暗然とさせられます。
前置きが長くなりましたが、これまで、本会報や新潟県医師会報などに自身の音楽遍歴というか合唱活動にまつわる随想文を数多く載せていただきました。今回の「私の憩いのひととき」では、記述が重複することをお詫びしつつ“わが合唱遍歴”を綴ってみたいと思います。
半世紀以上も前、NHK小学生合唱コンクール新潟県予選に合唱団員として出場し二年連続優勝した経験が、合唱音楽に浸るきっかけとなりました。音楽の先生は新潟大教育学部名誉教授の故・山田常蔵先生の一番弟子に当たる先生で、練習は厳しかったのですが、県予選の前に教育学部に伺い、山田先生の指導をこっそり受けて優勝したことを懐かしく思い出します。中学生になると、78回転のSPレコードでシューベルトの歌曲集『冬の旅』やW.フルトヴェングラーの指揮によるマーラーの歌曲『さすらう若人の歌』を聴いてD.フィッシャー=ディースカウの絶唱に舌を巻き、声楽の奥深さに惹かれていきました。
高校と大学でもコーラス部に所属していましたが、医師となって新大病院に勤務してからは忙しくて合唱から暫く離れていました。平成元年に開業して仕事に余裕が出た頃、初めて新潟メサイア合唱協会による年末恒例のヘンデル作曲のオラトリオ『メサイア』演奏会に参加し、バス・パートを唱うようになりました。演奏会は地方では珍しい全曲演奏会で、長年参加したお陰でハレルヤ・コーラスを含む19の合唱曲を暗譜で唱えるようになり、さらに合唱音楽にのめり込むようになりました。合唱協会長は当時、新大耳鼻科の渡辺行雄先生(元富山大医学部教授)が務め、伴奏のオケに芸大バッハカンタータを招いて全体の指揮は新大教育学部教授だった故・久住和麿先生が担当していました。久住先生にはメサイアでの合唱指導のみならず、ルネサンス・ポリフォニーを唱う古楽合唱団「コール・フロイデ」での指導を通じても、合唱音楽の醍醐味を教えていただきました。「コール・フロイデ」の団体名はバッハのモテット第3番『イエズ・マイネ・フロイデ(イエス、我が喜び)』(BWV227)から採られました。このモテットは無伴奏のア・カペラで唱われる5声のコラールで、「コール・フロイデ」の演奏会でも度々披露しています。
西欧のルネサンス時代には、フランドル地方や英国でポリフォニー音楽が盛んに演奏されました。ポリフォニーによる合唱音楽は幾つかの横の旋律が重なり合って構成される精緻な多声音楽で、各パートが同等に主役となり、重ね合わされた幾つもの声の波が寄せては返すように唱われます。しかし、ルネサンス期終盤になると、宗教改革に対抗するローマ・カトリック教会で典礼音楽のポリフォニーは「旋律と歌詞が軽視されている」と問題視され、次第に廃れてモノフォニー音楽と入れ替わっていきます。
ポリフォニーと対照的にモノフォニー合唱音楽はメロディーを唱うパートが主役になり、その旋律を縦のハーモニー(和音)で支えます。音の垂直的な結び付きを重視して主旋律と伴奏で構成されるモノフォニーは、誰にでも聴きやすい音楽様式となり、バロックやロマン派の時代には合唱音楽でも主流となって現代まで続いています。言い換えれば、ホモフォニーは日常的で、現世の人間の業のようなものを感じさせるのに対して、ポリフォニーは次から次へと沸き立って無限に流動し、この世を超えた奥深く神秘的な雰囲気を伝えてくれます。さらに言うならば、ポリフォニー音楽は米国の現大統領が嫌いな現代のDEI(多様性・公平性・包摂性)の概念に通じるものがあるようにも思います。
文学や絵画にもポリフォニー的作品があります。ドストエフスキーの小説、例えば『カラマーゾフの兄弟』では複数の個性や運命がそれぞれの価値を持って交錯し、その群像型の物語構成はポリフォニーに喩えられます。ミハイル・バフチンというロシアの哲学者は、ドストエフスキーの作品分析を通じて「ポリフォニー(多声性)小説」の概念を提唱しました。西欧文学は多くの場合、全知的な語り手が世界を統一的な視点で提示しますが、ドストエフスキーの作品では、語り手の視点は多声的で、固定的な権威を拒絶しており、ポリフォニー小説は人間の複雑さと多様性を多次元的、多視点的に捉える文学形式だとしています。バフチンは、単にドストエフスキーのユニークさを指摘したものではなく、文学構造の新しい可能性を示し、異なる声が自由に対話する場として小説を捉え、固定的な心理を排除するドストエフスキーの特異な技法を普遍的な文学理論として抽象化したものと言えます。
また、パウル・クレーは音の響きを視覚化した「ポリフォニー絵画」の連作、『ポリフォニックに囲まれた白』や『赤のフーガ』などを残していますが、詳しくはここでは触れないことにします。
「コール・フロイデ」の演奏会では、盛期ルネサンス、フランドル地方のジョスカン・デ・プレの『ミサ・パンジェ・リングァ』や『アヴェ・マリア』を始めとして、イタリアのパレストリーナ、モンテヴェルディ、ジェズアルド、さらにスペインのビクトリアや英国のウイリアム・バードなどによる宗教曲や世俗曲(マドリガル)を数多く唱い、ルネサンス・ポリフォニー合唱音楽を総なめにしたように思います。中でもフランドル楽派を代表するジョスカンの『アヴェ・マリア』は、緻密で重厚な合唱音楽で、リズムの異なるホモフォニーが混在する変幻自在の傑作です。唱っても聴いていても尽きることのない感動を与えてくれます。また、パレストリーナの『ミサ・ブレヴィス』はイタリア・ルネサンスの雰囲気を伝える明るく親しみ易い20分ほどの小ミサ曲で、対位法の極致のような名曲ですが、「コール・フロイデ」ではいつも発声練習で唱って馴染み深い曲となりました。ロマン派の時代にもブルックナーの『アヴェ・マリア』やラフマニノフ作曲のホモフォニー音楽の素晴らしい宗教曲がありますが、これらの名曲を合唱することは残念ながら叶いませんでした。
さて、新潟市に「りゅーとぴあ市民芸術文化会館」がオープンして四半世紀が経ちます。「りゅーとぴあ」をサブフランチャイズにしている東京交響楽団は毎年一回、大がかりな合唱曲を演目に加えています。開館記念公演では、カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』が演奏されました。合唱団員は公募され、本番では原則暗譜で唱いますが、蛮勇を奮ってこの「こけら落とし公演」のオーディションを受けて合格し、以後、希少価値の男声として幸いに不合格になることなく今年3月の“春の第九”まで唱い続けています。「にいがた東響コーラス」の活動については、本会報2019年4月号「私の憩いのひととき」欄で笹川基先生が紹介されていますが、中でもマーラーの第2交響曲『復活』の終楽章の賛歌やサントリーホールでも唱った第8交響曲『千人の交響曲』の終楽章の「神秘の合唱」など、小宇宙を感じさせるマーラーの合唱音楽の神髄に触れることができたのは幸せな体験でした。「にいがた東響コーラス」では、他にベートーヴェンの第9交響曲『合唱付』や『ミサ・ソレムニス』、モーツアルト、ヴェルディ、フォーレの三大レクイエム、さらにデュリュフレのレクイエムとブラームスの『ドイツ・レクイエム』、メンデルスゾーンの第2交響曲『讃歌』、ベルリオーズやブルックナーのテ・デウムなど有名な合唱曲を数多く唱う機会に恵まれました。
ところで、冒頭で触れたバッハの『マタイ受難曲』ですが、約半世紀前に新潟メサイア合唱協会が久住先生の指揮で公演したことがあり、合唱団の一員として第2バスを唱いました。全曲をノーカットで演奏すると3時間にも及ぶ長大なパッション(受難曲)ですが、一部を省略して演奏され、終始感激しながら唱ったことを覚えています。「にいがた東響コーラス」でも2021年にバッハ・コレギウム・ジャパン首席指揮者の鈴木優人氏の指揮で公演する予定でしたが、コロナ禍のため、公演中止の憂き目に遭い、再び唱うことはできませんでした。高齢ですからマタイの本番で合唱に参加することはもう叶わないでしょうが、せめて生の演奏を聴くことができればと思っていたところ、来月末の東京交響楽団の定期演奏会で全曲演奏会が開催されることになり、28日のミューザ川崎シンフォニーホールでの演奏会のチケットを購入することができました。『マタイ受難曲』の全曲演奏を生で聴くのは初めてで、今から楽しみにしています。
長々と自身の合唱遍歴を紹介させていただきました。呼吸器内科医として長年、患者さんを診てきましたが、声を出して歌うことは横隔膜や肋間筋などの呼吸運動や発声に関わる筋肉を鍛える有酸素運動にほかなりません。そろそろ傘寿を迎える年まで恙なく生きてこられたのもコーラスに親しんで唱い続けてきたお陰ではないかと、密かに自負している次第です。
最後になりましたが、宇露戦争の一刻も早い終戦と、犠牲になった無辜の人々の魂の救済を祈りつつ、稿を閉じることにいたします。
(令和7年8月号)
2025年3月の“春の第九”