蒲原 宏
翻刻、出版は自称「新潟の江戸っ子」こと、老人保険施設「江風苑」でなんでも内科を担当している横山芳朗氏。昭和5年新潟市出生。
知る人ぞ知る江戸文物研究家。すでに『邦楽の歩んできた道』『江戸文化と浮世絵』『江戸の文化』『江戸の華』『翻刻・魂胆夢輔譚』の江戸文化物を世に問うて好評である。
医学随筆として『医者はやぶ医者』『水のめ医、がまんせ医者─やぶ医者闘病記』『介護医は考える』もあり、笛の名手としても知名人。
昭和30年に新潟大学医学部を卒業し、学位をもらってから昭和大学医学部と母校の講師をやり、昭和44年に開業。平成6年、64歳で閉院。ゆとりある勤務医をしながら江戸文物の研究を楽しんでいる粋なお人である。
平成8年に出版した一筆葊主人英泉原作『魂胆夢輔譚』の翻刻には小竹としさんという、古文を良く解するパートナーがおられた。この方の協力で江戸期版本解読の実力をつけられ、この度の翻刻、出版を独力で完成された。
先ず、その努力と翻字の実力に感心したが、江戸庶民文学へ熱の入れ方と造詣にもまた、心の底から敬意を表した次第。翻刻本を紹介する。
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原著者の渓斎白水樵夫は渓斎英泉(1791〜1848)という江戸生まれの浮世絵師。士分松本政兵衛の子であるが、故あって池田氏を名乗る。名は義信、画号を渓斎、一筆庵。戯作者名としては一筆庵主人、一筆庵可候とも称した。幼年時に狩野白珪斎に絵を学んだ。一時仕官したが讒言で浪人となり、菊川英山の門人格として文化年間(1804〜18)から「浮世風俗美人競」の錦絵をはじめ人情本などの挿絵を描いたが、また北斎風、西洋風の風景画も残している。天保年間の水野忠邦による勤倹、風俗の匡正への改革以後は文筆業に専念し『无名扇随筆』などを残している。浮世絵師としての英泉は、所謂「英泉物」と云われる江戸末期の脂粉の香の漂う退廃美の溢れた濃艶な絵草子の作品に面白いのがある。横山氏が先年翻刻された『魂胆夢輔譚』全5巻(考古堂、新潟市、平成8年刊)もその一つである。
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この度の英泉作『色自慢江戸紫』は自称淫乱斎月老先生こと淫の長交開自惚艶次兵衛は春情指南の号を以った粋な江戸男の色ごと取材記である。(図1)
図1
井原西鶴の『好色一代男』『好色一代女』などの元禄時代(1688〜1704)の浮世草子とは、また一味ちがった幕末のエネルギー溢れた面白さがあって、すらすらと読み耽けってしまう。
色情を刺載する文言の面白さがあるのは勿論であるが、西鶴物の出た元禄時代から約130〜50年後をへた幕末までの間に、江戸時代の作家の用いる言語が分り易いものに変ってきていることによる。西鶴本を読んできた評者には江戸の町人たちの日常会話に用いられていた文言の変化がよく分かって面白い。
作品の構成のちがいは言わずもがな、記述も現代のアダルト向けの週刊誌なみの表現となってきている。「モシおひめさま、これを御らんあそばしませ。おつつけあちらさまへおこしいれがござりますと、このやうとのさまとけじなつておたのしみあそばすのでござります。はじめてのときはおいやのやうでもだんだんお心のへだてがなくなりますと、日のくれますのもまちどほしくおぼしめすやうになりますよ」「わたしはそんなことをきくのもいや。とのごにはだをふれるのはこわいやうでいやじゃはいの」というのは「わらひ絵」(春画)を見ながらの老女と娘との会話であり、美しい挿絵がある。いわゆる嫁入りの時に持たせてやる、所謂枕草紙の入門書。
「発端」では船遊びに始まる色ごとなどの絵入りの物語りだが、辻妻の合わぬ描写が面白い。
本文の「色自慢江戸紫」上の巻は「頃は陰茎元年下付中半、茶臼山に陣取せし蛸多新胘長緋ぢりめんの二布の幕を打ちまわし…」にいう己愡艶次郎先生の寝物語。
この中の巻は4牧のすさまじいまでの解説付の「わらひ絵」。よくできている。
それに、遊廊での「地子苦買の図」がこれまた圧巻。さらにまとめとして「男女色の道の全図」と「色の道行止奥の淫」という2枚の風景画で描いた「いろ里」の案内図は、よくもまあと、その発想と絵の才に驚かされる。(図2)
図2
下の巻は腎強作蔵と女房おゆき、それに妾のお花と芸者お月との四ツ車の色ごと話。飯より好きな女狂い物語が7図入りで読ませる。
最後に自惚艶次兵衛こと月老先生の強精剤の3種が紹介してある。江戸時代のバイアグラか?
王鎖舟 龍骨一分 訶子二朱 縮砂二朱 辰砂五分
とぼす前7粒温酒で内服、女5、7人とぼすとも気のいくことなし
無隻長命丸 阿芙蓉2匁 朱砂5分 蟾酥 三分
交合のとき玉茎に塗る。新開のごとくとぼす。
壮腎丹 丁香 附子 良薫 肉桂 山茱萸
蛤蚧 各一匁 明礬水解 硫黄 7匁
8種を細末にし密に丸くむくろじ程にして空腹時3粒温酒内服
「妻なき人は用ゆべからず」とある。水銀中毒になる危険なもの。まさに浮世の枕草紙で面白い。
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原文もそのまま復刻されているので、古文書の勉強にはもってこいの珍本。ドイツ語を勉強するときにヘッセ、カロッサの作品より、ビンデルバドの『Vollkommene Ehe』を読むことで力がついたことを思い出した。全てが下降線をたどりつつある人々にとっては回春と脳の活性を与えてくれる。
それに、江戸軟派文学の面白さと、庶民は阿時の世も性本能を楽しみとする人間だけの特権を忘れぬ知恵を持ちつづける。そのしぶとさを持っていたことを知ることができた。兎に角面白い。
(江戸文物研究会発行。〒951-8063 新潟市中央区古町通4-563 考古堂ビル内、B5、129P、平成20年刊、定価不詳(横山先生へお問い合せ下さい)。
(平成23年4月号)