渡邉 穣爾
著者は東京大学教養学部を卒業後、現在月読寺で住職を務めながら、自身の修行とともに一般向けの坐禅指導や執筆活動を行っている。本書では、ブッダの言葉が著者独自の解釈によりごく平易な文章で解説されており、その内容は心を静め悩まない日々を送るヒントを読者に与えてくれるであろう。
ここでは本書の中で特に印象に残った章を抜粋し、それについての著者の考えを紹介しながら、私の意見を述べさせていただきたい。
1)非難に備える
人の考え方は多種多様であって、自分の意見に同調する人もいれば反対する人も必ずいる。そのことを考えずに、「自分のことを認めて欲しいし、自分が否定されるのはおかしい」という妄想を抱いていると、非難されたときに腹が立ってしまう。最初から「この世の中に陰口を叩かれない人や非難されない人はいない」ということを認識しておけば、たとえ非難されたとしても涼しい顔で放っておけるであろう、と著者はこの章で述べている。
私も若い時は、自分に自信が持てずに人の評判が気になったり、非難されたりすると気分が滅入ってしまうことがあった。年を重ねるに従い、頑固になって人の意見を聞くことが減ったためかそのようなことは少なくなったが、やはり非難されるのは面白くないと感じる。自分に非があるとは思えないのであれば、また自分の意見に確信があるのであれば、言いたい人には言わせておくのが精神の安定のためには良いのであろう。
2)自己を整える
自分ができていないことを他人に諭しても、相手は全く納得できない。これは先生と生徒や親と子の関係だけでなく、あらゆる人間関係に言えることである。他人に何かを言う前に、確信や説得力を持って言えるように自分を整える必要がある、という内容である。
確かに、家でだらだらしている親が子供に「勉強しなさい」と注意したり、子供との約束を守らないで「嘘をついてはいけません」などと叱っても、子供には全く納得できないであろう。我が家の教育方針はどうであったか、反省点は少なくない。
3)この時間を生きる
過去を悔いたり喜んだりして過去に執着していると、今を充足させられなくなる。また、未来を心配したり逆に楽しみにしていると、「現実」に心は密着しなくなってくる。常に「今この瞬間」に集中すれば、結果的に過去も充足し明日の心配も消える、とこの章では解説している。
年をとるに従って過去の思い出は増えていく一方であるが、思い出して思わず声を上げたくなるような失敗や辛い出来事とともに、懐かしい日々に思いを馳せることが多くなった気がする。人生の折り返し地点をとうに過ぎた今となっては、将来の夢はあまりなく、強いて言えば孫と遊ぶとか、老後趣味に没頭することくらいであろうか。
しかし、過去や未来に囚われることなく、現実である「今」に集中することは人生において大事なことであり、うわの空では足元をすくわれかねない。地に足をつけて日々この瞬間を生きていくことが肝心であろう。たとえば、仕事が溜まっている時に「いつになったらこの仕事が終わるのか」などと考えていても、頭の中が沸騰して余計疲れるだけである。今やるべきことに集中していれば、楽になるし仕事もはかどるだろう。とはいえ、週末の旅行や今日の晩酌を楽しみにしながら仕事をすることは、悪いことではないような気がするが。
4)死の準備をする
「生きていたい」という生存本能にとって「死」は最大の脅威である。死に関する全ての苦しみは、「死にたくない、死など見たくない」という本能に支配されるがゆえに生じている。人の死に直面した時、「人は必ず死ぬ」「自分もいずれ死ぬのだ」という事実を受け止めることが「悲しい」「苦しい」という感情を作らないトレーニングになる。そうすれば自分が死を迎える時も安らかに死にゆく準備ができるであろう、と著者は諭している。
人は必ず死ぬ。生まれた瞬間から人生のゴールへの旅は始まっているのだ。今が楽しかったり明日苦しいことがある時は「このまま時間が止まればいい」と思い、今が苦しかったり明日楽しいことが待っている時は「早く明日になればいい」と思う。しかし、時間は全ての人に平等に過ぎていき、そして人は確実に死に近づいていく。各人に割り当てられた限られた時間の中で、どれだけ真剣に効率よく成果を出しながら生きていけるか。生きる意味というのはその点に集約されるのだろう。
過去を懐かしんで将来の死を考えないようにしたり、死の恐怖を紛らわすために死後の世界を想像したりするのは、自然な反応なのかもしれない。しかし、私の理想は、過去にこだわらず、未来を悲観せず、過度な欲望を捨てて「今」を生きることである。人生がいつ終わっても悔いのないような、そして臨終の際に「いい人生だった」と安らかに言えるような一生を送りたい。
先人が遺した教訓や哲学書を訳した本は、この世に星の数ほどある。しかし、その多くは公文書のように難解な言い回しのため、あまり本を読まない私のような者にはほとんど理解できないのではないだろうか。その点この本は易しく解説を加えてあり、非常に読みやすい。全てを肯定して実践するのは難しいと思うが、人生の教則本として今も空き時間に時々目を通している。ただし、このような本を読んだ直後は「いい人」になれても、私の場合その効果は数日しか持たない。やはり修行が足りないとみえる。
『ブッダにならう 苦しまない練習』
著者 | 小池龍之介 |
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出版社 | 小学館 |
価格 | 1,365円(税込) |
(平成24年1月号)