浅井 忍
多くの国で人口の半数以上が代替医療を利用しているという。地球全体では、毎年400億ポンド(5兆3千億円)が代替医療に費やされていると推定され、医療支出のなかでもっとも急速に増加している分野である。通常医療と同じ病気を治療できると主張してきた代替医療は、絶大な効果があるのか、役に立たないのか、あるいはその中間なのか、本書の目的はその真実を知ることである。著者のひとりサイモン・シンは、インド系英国人である。これまでに『フェルマーの最終定理』、『暗号解読』、『宇宙創成』を書き下ろしている。いずれの著書も緻密な調査に基づいた分析と巧みな構成により、高い評価を得ている。一方、エツァート・エルンストは代替医療の分野における世界初の教授である。著者たちが協力することにより、代替医療に対して偏りのない視点で真実を突き止めることができるとしている。
第1章では、以下の4つの歴史的エピソードを詳しく述べている。ジョージ・ワシントンは3人の医師の数回にわたる瀉血により命を落とした。壊血病にレモン汁が有効であることが突き止められたが、予防法として直ちに広まることはなかった。クリミア戦争におけるナイチンゲールの働きが評価されたのは、彼女が統計学に精通していたからである。イギリスにおいて、肺がん発生率は喫煙者に多いことが、3万人の医師を対象とした前向きコホート研究により証明された。これらのエピソードから導き出されるのは、検証されない医療行為は害であるかもしれないこと、新しい治療法を共有するための学会の必要性、医療行為における統計学の重要性、医療行為は科学的根拠に基づいていなけらばならない、である。著者たちは、代替医療は以上の4つの点から検証されるべきであるとしている。
本書では、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法にそれぞれ1章を使って詳しく分析している。付録ではその他の30の療法についての分析結果が示されている。本書が導き出した結論は、鍼はいくつかの痛みや吐き気に効果があるが、多くがプラセボ効果でしかない。ホメオパシーはプラセボ効果である。カイロプラクティックは腰痛に多少の効果があるが、施術により頸動脈の内壁が損傷され脳梗塞に至る危険がある。いくつかのハーブに効果があるが、ハーブ自体の毒性、薬剤との相互作用、ハーブの汚染そして製造業者が添加するステロイド剤などの薬剤による副次的な危険があるとしている。プラセボ効果とは、治療を受ける側の期待感や信頼感によってもたらされる見せかけの効果のことであり、代替医療の治療効果のほとんどはこのプラセボ効果である。2000年以降、世界で代替医療に関する4000件の研究が発表された。それらを詳細に分析した結果が上記である。
WHOは2003年に『鍼─対照臨床実験に関するレヴューと分析』と題する報告書をまとめた。その結果、鍼は100以上の病気や症状に効果があるとしている。しかし、鍼調査委員会は鍼の効果を信じる人たちだけで構成されており、鍼に批判的な人物は含まれていなかった。WHOは通常医療に対しては妥当な取り組みをしてきたが、代替医療に関しては政治的な意図を重んじているようにみえると、著者たちは批判している。
思慮ある人たちがなぜ代替医療に騙されるのか。実際に効果があったのだから、プラセボ効果であっても疑いようがないと思ってしまう。そして、自然・伝統・全体論的(ホリスティック)という代替医療の中心的な原理とやらを、まんまと信じ込んでしまう。通常医療を悪と位置づけ、そのカウンターパートとして、代替医療が善であるかのようなイメージを作り出しているのである。
では、プラセボ効果でしかない治療を広めることに加担してきたのは誰なのか。代替医療へのWHOの対応は公正とは言いがたく不可解である。一部のセレブリティたちは、これまで代替医療の広告塔となってきた。最も突出した人物はチャールズ皇太子である。皇太子はさまざまな機会を通じ、代替医療に対して好意的な発言を繰り返してきた。通常医療の研究者は代替医療に無頓着であり、その危険性を研究していない。メディアは通常医療に対しては厳しい対応をとるが、代替医療に対しては肯定的である。代替医療のセラピストを登場させ、科学的根拠のないセラピーを推奨する立場をとっている。公正を欠くのは、政府が代替医療の危険性に寛大すぎることだ。ハーブやサプリメントに対して、危険性を証明するのは当局であって製造者ではない。問題が起こってから規制当局は動き出すのだ。薬剤メーカーは、長い年月をかけていくつのも実験や臨床試験を積み重ね、当局の認可を受けてはじめて製品を市場に送り出すことができる。通常医療と代替医療はどちらも病人を治すという同じ望みを持っているが、一方は厳しく規制され、他方は無法なやり方がまかり通っている。政府は何らかの理由で、代替医療産業と対立することを避けてきた。直接的な言い方をすれば、票を失わないために手をこまねいてきたのだろう。これは、どこの政府も同じらしい。
代替医療のセラピストの行動のうちでもっとも危険なのは、患者が通常医療を受けなければならないときに、自分の代替医療を受けるよう促すことであると、著者たちは指摘する。その結果、患者たちは食い物にされ健康を損なう恐れがある。こうしたことは代替医療にも通常医療に課されている規制が行われれば、解決すると著者たちは提言している。たとえば、タバコの箱に書かれているような健康上の警告を義務づけることがひとつの解決策である。通常医療で行われているインフォームド・コンセントを、代替医療に求めたらどうだろう。カイロプラクティックにより、頸動脈が損傷され脳梗塞になる危険があることを患者に告げなければならないとしたらどうなるだろう。
本書は代替医療に関する発表をつぶさに調べ、公正な視点で代替医療の抱える危うさを指摘した。つまり、代替医療の多くが金儲けに属するもので、とるに足らないという結論を下したのだ。よくぞ代替医療のトリックを暴いてくれたと著者たちに拍手を贈りたい。
本書の冒頭の献辞は「チャールズ皇太子に捧ぐ」である。本書は代替医療を推奨する立場をとり続ける皇太子に対する批判の書でもある。
『代替医療のトリック』
著者 | サイモン・シン |
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エツァート・エルンスト | |
訳 | 青木 薫 |
出版社 | 新潮社 |
出版年月 | 2010年1月30日 |
価格 | 2,400円 |
ISBNコード | 978-4-10-539305-2 |
(平成24年2月号)