笹川 基
世界のマエストロ・小澤征爾と、国際的作家である村上春樹が音楽をテーマに対談し、その記録が発刊されている。
対談のきっかけを作ったのは、小澤征爾の娘でエッセイストの征良さんと、村上春樹の妻・陽子さん。二人は親友で、征爾と春樹の仲を取り持った。
ジャズにも造詣の深い村上春樹だが、自宅には膨大な量のクラシックレコード・ライブラリーをもち、コンサートにも足繁く通う。食道癌手術後の体力回復を図る小澤征爾一家を春樹が自宅に招待したが、二人でグレン・グールドなどのレコードを聴いたことがきっかけとなり、音楽談義が始まった。
対談は時を変え、所を変え、6回行われた。村上春樹がインタビュアーとなり、録音した会話をまとめ上げた。村上が小澤の取材をする形だが、読み始めると二人が対等に渡り合っていることに気付く。村上春樹はクラシック音楽にもかなり造詣が深い。「あとがき」の中で小澤は、「春樹さんの音楽知識は正気の範囲をはるかに超えている」と感服する。
6回の対談は、毎回テーマを決め進められる。
第1回対談のテーマは、「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をめぐって」。鬼才グールドが弾く2枚のレコードを聴きながら、音楽作りについて二人は語る。1枚目はカラヤンが指揮したベルリン・フィルとの協演、もう1枚はバーンスタインが指揮したニューヨーク・フィルとの協演で、小澤征爾が師事した巨匠たちの指揮法の違いにつき、話が展開してゆく。話題は小澤征爾が協演したピアニストたちに移り、ゼルキンのカンデンツァの魅力、ルービンシュタインとの演奏旅行の想い出、内田光子の卓越した技巧などが紹介されている。
第2回は「カーネギー・ホールのブラームス」。2010年12月カーネギー・ホールで演奏された小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによるブラームス交響曲第1番を、春樹は絶賛する。恩師・斎藤秀雄から叩き込まれたドイツ音楽であるが、闘病生活で鬱積した音への渇きが、よいスパイスとなったようだ。好演したサイトウ・キネン・オーケストラは、サイトウ・キネン・フェスティバル松本などで活躍する非常設オーケストラだが、小澤とともに音楽をやりたいと、世界中から名手が集う。普段はソロ活動や室内楽で活躍している人が多いため、オーケストラ専属メンバーよりも表現力へのモティベーションが高い。
各対談の間にコラムが掲載されている。第2回対談のあとの「インターリュード2」で、文学と音楽との関係につき、春樹は持論を展開する。言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせなど、文学でも音楽同様のリズムが必要であり、夏目漱石の文章はとても音楽的だと述べる。
第3回は「1960年代に起こったこと」。小澤征爾はブザンソン国際指揮者コンクール、カラヤン指揮者コンクールなどでの優勝が契機となり、東西の大指揮者カラヤンとバーンスタインに師事する。1961年からはニューヨーク・フィルの副指揮者に就任するが、バーンスタインに師事した下積み生活での苦労が、その後の成功の肥やしとなったと語る。若き日の著書『ボクの音楽武者修行』の中でも語っているが、小澤はスコア・リーディングの重要性を強調する。最後に、春樹のレコード・ライブラリーから、小澤が指揮した数枚の「春の祭典」、「幻想交響曲」を聴き、音楽作りの変遷が語られる。
第4回は「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」。60年代まで演奏されることが少なかったマーラーの交響曲をニューヨーク・フィルのチクルスとして取り上げたバーンスタインが、話の中心となる。フルトヴェングラーやベームなどが取り上げなかったマーラー音楽を、バーンスタインを通して学ぶことになるが、当時小澤の語学力は十分でなく、それを懐かしそうに悔やむ。交響曲における楽想の展開、コル・レーニョ(弦を弓の毛ではなく棒の部分で弾く奏法)など取り入れた弦楽器奏法、フィナーレで展開されるホルンのベルアップなどが紹介されている。マーラーのスコアには細々とした指示が多いが、第1交響曲・第3楽章冒頭の葬送マーチには「重々しく、しかし引きずらないように」との指示が記載されている、コントラバスのソロ演奏の後ろでティンパニーが4度のリズムを刻んでいるなど、春樹はマエストロの前でさらりと述べる。6回の対談中、マーラーを語る第4回に一番多くのページが割かれている。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーといったドイツ音楽の系譜とは異質の芸術を作り上げたマーラーに関する話は尽きない。
第5回のテーマは「オペラは楽しい」。小澤が初めてオペラを指揮したのは、ザルツブルクで演奏された「コシ・ファン・トゥッテ」である。カラヤンの推薦によるカール・ベームの代役で、大抜擢であった。パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座などで経験を積み、2002年からの8年間、オペラの殿堂・ウィーン国立歌劇場音楽監督を務める。パヴァロッティと共演したスカラ座での「トスカ」では、気難しいミラノの聴衆から大きなブーイングを浴び落ち込むが、「ブーイングは一流の証」とパヴァロッティに慰められる。
第5回の終わりに、「スイスの小さな町で」と題した村上春樹のプチエッセイが掲載されている。スイスの片田舎に若手弦楽器奏者が集い、パメラ・フランクなど世界の一流演奏家から1週間指導を受けるのだが、音楽作りの現場をみなさいと、春樹は小澤から合宿に参加するよう誘われる。巨匠たちから教えられた音作りを次世代に伝えようとする小澤の姿を目にすることになる。
第6回のタイトルは、「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」。「スイスの小さな町で」で紹介されたアカデミーについて、話がさらに展開する。若手弦楽器奏者を集めた教育アカデミーが、15年前から毎年奥志賀で開催されている。7年前からは、レマン湖のほとりのロールという小さな町にヨーロッパ中から若手弦楽器奏者が集められ、ロバート・マン(元ジュリアード弦楽四重奏団第一ヴァイオリニスト)、今井信子、原田禎夫などが指導している。弦楽四重奏は音楽の基本とし、小澤が斎藤秀雄から学んだことを次世代の担い手たちに伝えている。
充実した音楽談義となったが、対談を終えて二人には共通点があることに、村上春樹は気付く。自らの仕事に純粋な喜びを感じていること、ハングリー精神を持ち続けていること、頑固なこと。音楽と文学、方向性は違うが、創造的な仕事をする二人の人生観には似たところがあるという。
(本書は、新たな世界像を提示するノンフィクション作品に贈られる第11回小林秀雄賞を受賞した)。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
著者 | 小澤 征爾 |
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村上 春樹 | |
出版社 | 新潮社 |
ISBNコード | 978-4-10-353428-0 |
定価 | 1,600円+税 |
(平成24年11月号)