黒田 兼
低視聴率のまま終わった昨年の大河ドラマ、「平清盛」。平氏だけみても「○盛」という人物が多数登場し、高校時代日本史を選択した私でも、ちょっと目を離すと物語についてゆけなくなったものである。さて物語の終盤、木村多江さん演じる白拍子の仏御前が登場した。
「白拍子」とは?「仏御前」とは?ということで紹介するこの本は、京都市在住の哲学者、梅原猛氏によるものである。読売新聞日曜版に連載されたものが元になっており、全9巻のうちの第1巻である。それぞれの章は、京都の寺社について、ある人物との関連性から記述されており、4ページほどでまとめられている。
「祇王と仏御前」の章を紹介したい。京都嵯峨野に祇王寺というお寺がある。小さな庵にそれほど広くない苔の庭があり、秋には紅葉した楓の葉が敷きつめられ、観光客でにぎわう。平家が栄華を誇った頃、清盛の寵愛を受けた祗王という白拍子がいた。ところが同じ白拍子の仏御前が現われ、清盛はたちまち仏御前に心を移し、祗王は館を追い出されることとなった。祇王は嵯峨野の山奥の往生院で妹の祇女、母の刀自とともに仏門に入った。一方仏御前は、自分もまた祇王と同じ運命をたどるのではと考え、その後祇王を訪ねる。祇王は仏御前を迎えて一緒に念仏業に明け暮れ、無事往生を遂げたという。これが現在の祇王寺である。
さて「白拍子」であるが、この本では脚注を西川照子さんという方が執筆されている。これによると、「院政期に始まった芸能及び芸能者をいう」とある。一方梅原は、「白拍子は(中略)男装で、歌を歌い、舞い、色を売る女である」としている。前者は教科書的解説であり、後者はその実像であろう。
以前祇王寺を訪れたとき、薄暗い小さな庵の仏間に、祇王、祇女、刀自、仏御前、そして清盛の像が安置してあり、説明を聞いた。いくら仏門に帰依したとはいえ、自分を追い落とした女性と一緒に暮らせるものなのだろうか、きっと作り話であろうと思っていた。
梅原はこの話はおそらく本当にあったことであろうが、『平家物語』の著者の脚色が加わっていることは間違いないと述べている。『平家物語』は浄土宗の開祖である法然の「専修念仏」の宣伝書という意味を持っているとのこと。その思想の特徴は「女人往生」であり、罪深く愚かな女人ほど極楽往生は確実で、その例としてこの白拍子の往生は適当である。しかも仏御前は、自分から栄華を捨てて尼になっており、「専修念仏」を布教する上で最もよい例であったと。
いったん憎み合った女同士が、一緒に暮らしたのか否か、真実は結局うやむやのままであるが、京都を何回も旅して、一般的なガイドブックでは物足りない方にもおすすめの一冊である。
『京都発見 (1)地霊鎮魂』
著者 | 梅原 猛 |
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写真 | 井上 隆雄 |
出版社 | 新潮社 |
定価 | 2,940円(税込) |
(平成25年2月号)