浅見 直
今も昔も体を動かすことが苦手のため、子供の頃は読書三昧でした。幸い生まれ育ったわが家には『日本古典文学全集』、『柳田國男選集』、『マルクスエンゲルス選集』、『谷崎潤一郎全集』、『夏目漱石全集』など多数の書籍類があり読書環境には恵まれていました。中学生のころ、たまたま読んだ夏目漱石(慶応3年~大正5年)に嵌ってしまいました。中学生にも取っ付きの良い『坊っちゃん』(写真)や『我輩は猫である』は特に好きで何回も読み直しました。イギリス風のブラックユーモアに溢れる漱石の文体が特に好きで、今でも影響されています。
ところで夏目漱石の文章には今ではとても使えないような差別的な言葉が随所に出てきます。たとえば車力(荷車で物資を運送する労働者)、下女(げじょ、女中)、ちゃんちゃん(当時の中国人に対する蔑称)、かげま(陰間、男色を職業とする少年)などです。しかし漱石は敢えて侮蔑的にこれらの言葉を使っているのではなく、漱石の文章のなかでは当時の言葉として違和感無く受け入れられます。
その中でも出色は「うらなり君」でしょう。そもそも「うらなり」というのは未熟な瓢箪(うらなりのひょうたん)の略で、顔色が悪く、元気がなくて弱々しい感じがする人という意味だそうで、同僚の教師の古賀先生のあだ名です。うらなり君は気弱で人が良いため、権謀術数に長けた赤シャツ(教頭)や狸(校長)にいいように扱われ、彼から美しいマドンナを奪うため日向(宮崎県)の延岡へ無理やり転勤させられます。それを知った坊っちゃんと同僚教師の山嵐とが以下の会話をします。
「日向の延岡とはなんの事だ。中略。延岡といえば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツのいう所によると船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人とが半々に住んでる様な気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇だ。」
私にとってこのような一見ひどい言い方でもブラックジョークとして面白く感じられますが、宮崎県の人達にとってはどうなのでしょう。しかし漱石は決して延岡を馬鹿にしているのではなく、むしろ延岡を、風俗のすこぶる純朴な所で、職員生徒ことごとく上代撲直の気風を帯びて居るところで、赤シャツや校長など腹黒い連中とは無縁の土地であり、うらなり君にとって今回の転勤はむしろ良かったと山嵐に語らせています。
近年、差別的な言葉は差別用語として使うことは許されなくなっています。たとえば、めくら(眼の不自由な人)、いざり(足の不自由な人)、つんぼ(聾唖者)、気ちがい(精神病)などは公には使えません。以前に観たNHK大河ドラマの『忠臣蔵』で、浅野内匠頭の江戸城内刃傷に対する幕府の処罰が浅野は切腹、吉良上野介にはお咎め無しとされたことに対し、これは「片手落ち」の処分であるはずなのが、劇中では「片落ち」と手を抜いた表現にしてあったのはいくら何でも行き過ぎではないでしょうか。漱石の小説にはこのような差別用語が良く出てきますが、決して悪意に満ちた表現ではなく、むしろそのような人達に対する温かみが感じられます。
『夏目漱石全集、第3巻(昭和31年8月初版)』
出版社 | 岩波書店 |
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著者 | 夏目漱石 |
写真 | 筆者撮影 |
定価 | 150円(当時の価格) |
(平成26年3月号)