柳本 利夫
最初は、よくある子ども向けのなぜなぜ辞典かと思いました。しかし読み始めて「これは違う」と気づきました。本格的です。執筆者の23名がすべて哲学の教授、准教授のそうそうたる顔ぶれです。この哲学の研究者たちが、子どもがふと口にするような素朴な問いに対し、子どもに語りかけるように答えています。平明な言葉、具体的な説明、ていねいだが短く言い切る文章、しかし深く核心に迫っていきます。編者の野矢茂樹教授が選んだ質問は全部で22題。1題につき二人の哲学者が答えます。同じ問いでも二人の回答の切り口が全く違っていて、それもおもしろさのひとつです。「子どもの難問」はどんな難問かといえば、たとえば「勉強しなくちゃいけないの?」…そんなの当たり前だとか、進学に役に立つとか、○○さんみたいになるぞとかいうありふれた答えは当然書いてありません。「勉強しなくてもただちに人体に影響はありません」なんていう答えや、学ぶというのは「得体のしれないことに君が接してしまうこと」などと知的好奇心を刺激していきます。「死んだらどうなるの?」という問いもあります。もちろん死後変化の解説ではありません。死の観念が人生になにをもたらすのかについて考案しています。ほかには「頭がいいとか悪いとかって?」「なぜ生きてるんだろう」「心ってどこにあるの?」…芸術のこと、神様のこと、幸せのこと、様々な問いが次々と発せられます。さらりと答える哲学者の意外な切り口に驚かされるものもあれば、ウーンとうなって考えこんでしまうものもあります。そうです、これは大人向けの本なのです。編者が序文で触れていますが、私たち大人は、絶えず前に進むことを強いられています。診療に追われ、目を通すべき書類は山積み状態、夜には会議、学術講演会も予定されているという状態です。次々と予定をこなし前に進み続ける私たちは「心ってどこにあるの?」とか「神様っているかなあ?」なんて余計なことは考えません。哲学的な問いは常に前に急がされている者にではなく、ふと立ちどまった者、蟻の行列に目を奪われている子どものような者に許されます。子どもの難問というのはそういう意味なのです。哲学者たちの素敵な文章は、日常の煩雑さからふと足をとめて、ちょっとした哲学の世界に読者を導いてくれます。読後にさわやかな清涼感を感じる理由はそのあたりに秘密があると思われます。問いに対するひとつひとつの文章は短く、少しずつ読み進むことができます。いや、むしろ一気に読み通すより、一文ずつ読後の余韻を楽しむのも一手です。多忙な方にこそお勧めの一書です。
『子どもの難問』
著者 | 野矢茂樹 |
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出版社 | 中央公論新社 |
定価 | 1,300円 |
(平成26年4月号)