黒田 兼
仏像マニアの朝は早い。
贔屓の仏像は好みの距離・角度からじっくり見たい。視界に他人の後頭部が入ってくることを良しとしない。よってまだ人の少ない朝、拝観に行くのである。
去年の夏の終わり、早朝東大寺の三月堂に行った。小さなお堂に先客は男3人。向かって右、入り口すぐのところで、猛烈な速さでメモを取っている白髪混じり短髪の男性。左に目をやると、汗だくのままデイパックを背負って一つ一つの仏像を熱心に眺める男性。3人めが一番怪しい。仏像全体を見渡せる真正面の畳敷きに腰掛け、サングラスの男が仏像を見つめている。「みんなちょっと変な奴」と思ってから、ふと「自分もその一人か」と少し可笑しかった。
今回紹介する『見仏記』の中で、このお堂について、みうらじゅん氏がいとうせいこう氏に語っている。
「三月堂。かっこいいんだ、スター勢ぞろい」確かに、狭い須弥壇に所狭しと並ぶ仏像群は、本尊の不空羂索観音菩薩像をはじめとして10体全てが国宝である。自分は「いつ見てもすごいなあ」とぼんやり思うだけだが、それを「かっこいい」「スター」と表現するのが、みうら氏独特の感覚である。
仏像を信仰の対象、あるいは芸術品として見る他に、第三の見方として著者らは「見仏」を提唱する。本当の信者でないけれど、手を合わせたい。でもその一方、ジロジロ細かなところまで見て、造りについても語るというようななんとなくゆる~い見方である。また、二人はお互いの関係を「仏友」と呼ぶ。仏像に対する知識は十分持っているのであるが、その知識をひけらかすのではなく、見た仏像について印象を語り合い、時にくだらない想像を膨らませ合いながら一緒に仏像を求めて旅をする。諸説様々ある知識を話題にしてしまうと、意見の衝突が起きがちである。しかしお互いの仏像を見た印象を語り合えば、自分以外の感じ方に触れることができ、二人の間に仏像に対する新しい見方が広がってくる。「黄金の配置だよね、三月堂」と語る、みうら氏に対し、いとう氏は「むしろ狭苦しい」と感じる。「しかし、その密度こそがこの三月堂の妙な静けさの秘密だ」とも思う。いとう氏は続ける「それぞれの間にある空間はあまり計算されたものでないという気がした」「そんな作為のない密度が、のど飴についた灰色の粉をふいたような仏像に、なぜか似合っている」と。
こんな感じで、文章をいとう氏、イラストをみうら氏が担当し、二人で全国各地の仏像を訪ね歩く道中記である。みうら氏の感じる「印象」には同意できないことの方が多いが、「仏友」のいない私にとっては、人それぞれ色々な感じ方があるなあと楽しく読める。仏像に興味のない方にハードルは強烈に高いが、我こそは仏像好きという方にお薦めしたい。
お堂の中なのにサングラスをかけたままの先ほどの男性が、メモを取っていた男性に話しかけた。
「(仏像を照らしている仄暗い)LEDの光って、灯明の光に似てるんだよね。いいよね」
その聞き覚えのある低い声、そう、みうらじゅん氏であり、猛烈な速さでメモを取っていたのはいとうせいこう氏であった。
『見仏記』
著者 | いとうせいこう・みうらじゅん 著 |
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出版社 | 角川文庫 |
価格 | 680円+税 |
(平成28年2月号)