小林 晋一
野坂昭如氏は昭和5年生まれ。小生より10年年長である。実父は新潟県副知事、終戦後の人気ラジオ番組『トンチ教室』のレギュラーでもあった。氏も多芸多才、放送作家、作詞家(おもちゃのチャチャチャ、黒の舟歌など)、小説家、歌手を目指したり、政界に身を置いたこともあった。痩身長駆、黒ぶちサングラス、酒豪、歯に衣きせぬ言動で一時期芸能マスコミ界を風靡。昭和20年6月、14歳のとき神戸の空襲で養父母を失う。17歳のとき実父に引き取られ旧制新潟高校に学ぶ。同窓の丸谷才一氏、中山公男氏との交流は文中で触れられている。『行き暮れて雪』は新潟時代を書いたもので、数多い氏の小説の中で小生が読んだのはこれ一冊だけであるのだが。
『シャボン玉日本』は、末尾に毎日新聞『七転び八起き』(2011.9.17~2014.8.19)。単行本化にあたり、加筆、再構成したとある。文中、気づけばこの連載も8年目とあり、7年間の連載のなかの最近3年分をまとめたものと思われる。時事評論であり、戦中、戦後に多感な青少年期を送り、幾多の辛酸をなめなければならなかった作者が現在のわれわれに伝えてくれる警鐘の書である。主題は分類項目のごとく憲法、政治、戦争の記憶、外交、日本の農、地震・原発、自然・科学、日本という国、高齢化社会、若者たちへと多岐にわたっている。
通読して感ずることは、作中繰り返し述べられていることであるが、現在起きている様々な問題の原因は次の2点に集約される。すなわち敗戦後、戦争の原因、責任を十分総括しなかったこと及び経済的豊かさだけを追求し日本の衣・食・住・文化を日本本来の姿に戻す努力を怠ったことにある。さまざまな問題とは、現政権の目指す戦前への回帰現象であり、原発再稼働であり、日本外交の拙劣さであり、食糧自給率の低下や自然破壊であり、教育問題やいじめの問題などである。
「平和憲法のもとで、今まで日本は戦争に巻き込まれないできた。本来憲法は権力を縛り国民をまもるもの。憲法改正には国民的議論が必要。現政権は、憲法そのものの議論から離れ、憲法解釈の変更について、閣議決定結論ありきで進めている。特定秘密保護法により一般国民がある日突然罪人とされてしまう可能性がある。戦中の治安維持法の再現である。集団的自衛権を閣議決定で決めてしまった。これは暴挙というより他にない。昭和9年ころの大日本帝国の考えを彷彿とさせる。軍事国家というものは基本的人権の抹殺を意味する。」
「この年になっても、いや、なればなるほどぼくは過去に執着、こだわっている。気づけば昭和20年前後に、筆のまわることがよくある。当時子供の眼で見たこと、聞いたことが昨日の出来事の如く蘇る。結局ぼくはまだ焼跡の上から抜け出せないでいる。なぜ日本が戦争に突き進んだのか、ひとたび戦争が始まれば、人間という生き物はいかに変わってしまうのか、あの時代が特殊なわけではない。戦争がいかに愚かであるか、数えきれない犠牲を出しながら何も伝わっていない。今こそあの戦争の犠牲者の声に耳を傾けよ。」
「国同士あって当たりまえの認識の違いをどうするか、国境のある国では血で血を洗う揉め事がくりかえされてきた。双方自分の論を主張するだけでは外交にならない。日本は島国で地続きの国境をもたない。故に他国との話し合いは下手。これが日本の外交の質を悪くしている。人間が生きていく上で「人権」「平等」「自由」が基本であることは普遍性をもっている。今、日本は日本独自の他国とのかかわり方を模索する必要がある。」
「戦後、戦争の原因、責任をつきつめ、反省し、次にではどうしたらよいかということろまで掘り下げることをしなかった。敗戦で丸裸となった日本は衣・食・住・文化を日本本来の姿に戻す努力をせず、戦勝国アメリカの消費文化を取り入れた。ただ経済的な豊かさと便利さだけを追い求める結果となった。」
「石油枯渇がいわれ、将来のため原子力を一般化させた。原発は稼働によって必ず生じる核廃棄物が数十年を経た今でもなにも解決されていないという致命的な問題を抱えている。いったん事故が起きれば、民間会社の力では到底責任を負えず、問題を解決できないことがはっきりした。
今、日本は原発再稼働に向けまた走り出そうとしている。原発が止まれば、日本の社会は多大なダメージをこうむる。国民のため、日本のためと大義をかざす。再稼働のうらにあるのは一体何なのかこの見極めこそ大事。何が間違っていたのか、これからどうあるべきかそのことを身に引きつけて、被害者それぞれの声に耳を傾けることがぼくらの勤めであると共に、そのことがこれからの日本にとって必要な財産となろう。」
「戦後のアメリカは食料援助を皮切りに、その後日本に食糧を出し続け、いつのまにか日本は食べ物についての主導権をアメリカにわたしてしまった。どんな国でもゆとりがなければ他は助けられない。世界的に食糧不足、水不足といわれ、またエネルギー危機ともいわれている。ヨーロッパ各国は軍事、エネルギー、食い物についてできる限り自国でまかなおうとしている。
日本の農業は、お上によるおかしな農業政策によって翻弄されつづけてきた。減反政策によって耕作放棄地がふえた。高度経済成長は若い担い手たちを離村、離農させた。元来農業は食糧安保とは別に、自然を守る役割がある。農業によって守られてきた自然こそ日本の財産、水田は地下水を涵養し洪水を防止、つまり農業は国土保全、治水の役割も担っている。
日本人の胃袋はアメリカに支えられている。食の輸入大国日本の食べ物は実に危なっかしい綱渡りをしている。日本の食を本気で見直さなければ日本は飢え死にしてしまうだろう。世界情勢は日々刻々変わる。まず、日本列島に住む人間が自前で食べられることが大事。株や円、経済などは二の次である。」
「体罰が問題になることが多い。暴力はよくない。力あるものが自分の意志を暴力で通そうというのは間違っている。学校は子供が生きる上での基礎を養うべきところでもある。個性の違う子供たちを教育するとき、ある程度の強制は必要。怒鳴りつけることがあってもいいと思う。暴力反対で、子供同士の取っ組み合い、喧嘩がなくなった。子どもたちは取っ組み合うことで痛みを知り、相手の気持ちを考えるようになる。表立っての喧嘩がなくなった分、陰湿ないじめに向かう。
家庭でも子供のうちに教えこむ事柄例えば食事の仕方、行儀などお尻を叩く、頭をぶって覚えさせるしかないこともある。だがこれは子供に対する愛情あってのこと、愛情を言い換えれば、社会の先輩として子供にお節介をやく、これが躾の基本。お節介をやくのは大人の義務でもある。」
最後に再々野坂氏の文章を挙げて終わりとする。
「日本が戦争をしていた時、戦場に赴いた経験をもつ人はもはやごく僅か。戦争を知っているといっても子供だった人が多い。…そんな戦争を知る世代は、ぼくを含め、ぼくよりだいたい十歳上と、十歳下の皆さんでおしまい。
自分の目に、脳裏に焼きついた地獄図は消えない。それを語り継ぐ人、胸にしまい込んだ人思いはそれぞれだが…時は経ち、そんな世代はいなくなる。
戦争経験を持たない人が上に立つと戦争がはじまる。どこまで通じるか届くか判らないが戦争を少しでも知っている人間が、それぞれの立場で伝えていくしかないと思う。」
『シャボン玉日本 迷走の過ち、再び』
著者 | 野坂昭如 |
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出版社 | 毎日新聞社(2014.9.20) |
価格 | 1,404円 |
(平成28年4月号)