横山 芳郎
変な題名だと思いますが、まずこれの説明をいたします。
江戸の浮世絵作家の系列で、一番有名なものは「歌川」派です。歌川を率いる頭目が豊國ですが、何代豊國と呼ばれる師匠が4人おるのです。ヨイ豊とはその中でも四代豊國の呼び名のことです。
私は浮世絵好きで、渓斎英泉という絵師の研究を少しやりまして、彼の浮世絵も数点もっています。また英泉は文才もあり、本もたくさん書いていますが、そのうちの2点ほどを私は翻刻出版しております。翻刻とは、くねくねとした江戸文字に書かれている文章を現代の字句に書き換えることを申します。
文化、文政期を過ぎた頃から、明治のはじめ頃まで、歌川と関係なしに有名な絵師は、例えば、喜多川歌麿、葛飾北斎、安藤広重、渓斎英泉、川鍋暁斎、などが多数あげられます。
派閥に関わる切磋琢磨、派閥間の軋轢などを述べながら、浮世絵師が原画を描き、版画の彫師(ホリシ)、刷師(スリシ)との密接な関係が本書には詳しく述べられています。
明治に入って、西洋画法が輸入され、画像が印刷機で量産されるようになると、版画製法は激減し、洋風のペインティングが常用されるようになり、その頃から絵画は高値の美術品として、庶民の手に入らなくなりました。今、浮世絵は展覧会などでは、額縁に入ったガラス越しに、遠くから見るようになっていますが、浮世絵版画は本当は一枚一枚を手に取って、ためつすがめつ眺めるのが、鑑賞法だといわれています。
初代豊國の内弟子が二代目を名乗り、しかしこれは絵師としてはものにならず、歌川国定が三代目を名乗り、歌川派は大発展しました。彼が平治元年、79歳で亡くなりましたが、その弟子清太郎は国定の娘の婿養子になり、歌川国周と名乗り、その後の歌川派の盛衰に関わってきました。紆余曲折があり、四代豊國を名乗り、その後、中風発作に見舞われ、ヨイヨイになってもまだ仕事をしていましたので、ヨイヨイ豊國、ヨイ豊と呼ばれました。しかし弟子のころから、先代豊國の画法には傾倒していました。
丁度、幕末から明治にかけての頃のこと、絵画界と一般の社会情勢が史実に基づいて述べられています。我が国では見放された浮世絵が、フランスではジャポニズムと呼ばれて、日本趣味全体の価値が見直されて、絵画の世界でも印象派を生み出すきっかけになったといわれています。
一般の社会は、明治の近代化につき進んでいきました。絵画界にも特変があったように、しかしそれは江戸や幕府を滅ぼした薩摩、長州の江戸文化倦厭傾向にも由来するといわれていると述べています。
紆余曲折はありますが、本書は幕末浮世絵界の変遷と、江戸から明治に至る絵画界の複雑な変化過程が、小説的に述べられている物語と言うことができましょう。
本書は第5回歴史時代作家クラブ賞を本年6月に受賞しました。
『ヨイ豊』
著者 | 梶 よう子 |
---|---|
出版社 | 講談社 |
定価 | 1,800円+税 |
(平成28年6月号)