須田 生英子
「ネガティブ・ケイパビリティ(以下NC)?」今まで聞いたことがない言葉と、「答えの出ない事態に耐える力」という副題が気になり、手に取ったのが今回紹介させていただく一冊です。著者は作家としてもご活躍で、現在はクリニックを開業されている精神科医です。本の構成は整然と整っているわけではなく、NCが多方面で必要な能力であることをエッセイのように論じている、そんな本だとご承知ください。
まず著者は、冒頭でNCを「どうにも答えのでない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」と定義しています。学生時代、見つかっていない答えを見つけるべく試行錯誤し、その過程の中から真実を見つけ出すことが学問であると考え、また医師になってからは、どれだけ早く的確に病状を診断し治療するかが大切である、と考え続けていた私には「不確実さをそのまま受け止めているだけ」ということの大切さ、と言われてもにわかには受け入れ難いものでした。けれども私のこの考え方は、学生時代12年間で植え付けられてきたポジティブ・ケイパビリティ(以下PC)思考に影響されたものであり、特に医学教育はPCの最たるものであることが、本書を読み進めていくとわかりました。著者は、「現代教育が目ざしているのは、PCの養成です。平たい言い方をすれば、問題解決のための教育です。しかも、問題解決に時間を費やしては、称賛されません(p.186)」と書いています。医師にとってPCは重要であり、PCなくしては十分な知識、技術を習得することはできません。しかし、開業しクリニックで一人一人の患者さんにきめ細やかに対応しようとすると、PCを基に今まで習得したスキルでは解決できない場面が数多くあり、自分の中に消化不良のような感じが常に残ってしまうのです。そんな私と同じ状況の中で著者は、「主治医の私としては、この宙ぶらりんの状況をそのまま保持し、間に合わせの解決で帳尻を合わせず、じっと耐え続けるしかありません(p.100)」というスタンスをとって診療を続けられています。そしてこのような診療を本書では〈日薬〉と〈目薬〉と表現しています。
著者の言葉を借りれば、「何事もすぐには解決しませんが、時間の経過を経て何とかしていくうちに何とかなる」これが〈日薬〉です。また、「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」というメッセージが〈目薬〉です。著者は「ヒトは誰も見ていないところでは苦しみに耐えられません。ちゃんと見守っている眼があると、耐えられるものです(p.89)」と述べています。眼科医の私にとっては全く新しい〈目薬〉の登場です。
PCとしての医学を学んでくると、どうしても性急に結論(診断)や結果(治療効果)を求めがちになりますが、本書からは、診療という行為にはもっと〈日薬〉や〈目薬〉が必要だよ、というメッセージが伝わってきます。もし私のように日常診療に疑問をお持ちの先生方がいらっしゃいましたら、本書に一度目を通してみてください。先生にとって新しい発見があるかもしれません。
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』
著者 | 帚木蓬生 |
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出版 | 朝日新聞出版 |
定価 | 本体1,300円+税 |
発行日 | 2017年4月25日 第1刷発行 |
(平成29年11月号)