木村 洋
「さよならだけが人生だ」は有名なフレーズです。しかし迂闊にも最近まで原典を知りませんでした。私がこの一節を知ったのは大学時代、70年安保闘争の嵐が少し収まりかけた頃です。大学にほとんど通わず、映画に狂い年間300本ほど見ていました。その当時、早逝の映画監督、川島雄三の『幕末太陽伝』という傑作と称される彼の代表作を見た時です。彼の人生観に関心を持ち、同じく映画監督の今村昌平の書いた「サヨナラだけが人生だ─映画監督川島雄三の一生」や作家藤本義一の彼を題材にした『生きいそぎの記』を当時読んだことに発します。早とちりで、不勉強にも当時(最近まで)は生き方などから川島雄三の言葉と思い込んでいました。そして、若いころは粋がって「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」とうそぶいていたものです。
最近になってふとした機会から無頼作家(私自身も無頼派に憧れていたこともあり)と称される伊集院静のエッセイ集を読む機会があり、この言葉が井伏鱒二の訳詩だと知りました。
原文と読み下し、訳詩はこうです。
勧酒(于武陵:唐時代の詩人)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君に勧む金屈巵
満酌辞するを須ひず
花発きて風雨多し
人生別離足る
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
それが井伏の『厄除け詩集』からと知りました。その意訳(翻案)に脱帽です。その言葉が一人歩きするほどですから、名訳と言わざるを得ません。本の表題のごとくこの本を持つと「厄介を避けることができて、“無事”で人生を過ごせる」そうです。私にとって、身から出た錆びとはいえ、良い事のなかった今年ですのでご利益にあずかれればという下心から早速購入しました。
パラパラと目を通してみて、漢詩の翻訳(翻案)に真骨頂があると思います。彼独特の世界観が広がります。小説家というよりは詩人と呼ばれることを喜んだとも評論に書いてあります。ほのぼのとした人柄のあふれた自作の詩も多くおさめられています。文化勲章を受章している著名な作家ではありますが、まだ彼の小説は教科書でしか読んだことがありません。今度は彼の小説も読んでみようと思っています。そして厄除け札として、厄が逃れてくれますように!来年はいい年になりますように!
『厄除け詩集』
著者 | 井伏鱒二 |
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発行所 | 講談社 |
発売日 | 2018年1月12日 |
定価 | 1,100円(税別) |