大橋 美奈子
都内のあるホテルのラウンジで、そのタイトルに惹かれて手に取った。砂漠に棲むって、どういう意味だろう。砂漠から連想されるものは、果てしなく続く砂地と、列をなして進むラクダ、そしてサソリ。何も生まない乾いた土地に、人が住めるわけがない。
彼女は日本で助産師をしていたが、語学留学先のアメリカで一人の男性を好きになる。アラブ首長国連邦(UAE)出身の彼は、母国で一緒に暮らそうという。それまで彼女はUAEについて何も知らなかったし興味すらなかった。ただ何となく、この人とずっと一緒にいられたら楽しいだろうな、と思ったそうだ。当時、彼女の両親は猛反対した。日本で何不自由なく育った娘と、遊牧民の両親に育てられた青年がうまくいくとは思えない。今も昔も、恋愛と結婚は別なのだ。両親は地元の図書館でUAEについて調べ、「こんな国なんだよ、わかっているのか」と懇々と娘を諭したという。長い間、すったもんだがあったことは想像に難くない。
いくつもの障壁を乗り越え、アル・アインの小さなアパートに二人は移り住む。ある晩、「いつも同じ部屋で夕食を食べるのは味気ないね」と彼が砂漠に誘う。車を30分走らせると、そこには建物も草木もない静謐な世界が広がる。月光に明るく照らされた砂の風紋にごろんと寝転んで、夜空に舞う無数の流れ星を夜明けまで眺めた。それから3年の月日をかけて、二人はこの場所に家を建てる。
この本には、刻々と姿を変える神秘的な砂漠の風景写真と、約200にまで増えた「家族」との絆が収められている。「家族」は、肉親であると同時に隣人であり、友人であり、命を支える食でもある。砂漠の夜明けは雄大で美しい。満月がまだ西の水平線に沈まないうちに、隣国オマーンの山の後ろから太陽が顔を出す。黄金色の強烈な光を放ちながら砂漠をまるごと飲み込んでいく。そんな絶景に見惚れて、一匹のトカゲが砂上に佇む。彼女の写真から感じるのは、過酷な環境で生きるものへの慈しみだ。生きる意味とか生きる価値とか、人はよく言うけれど、彼女はそんなことを考えなくなったそうだ。今日、自分はこうして生きている。それだけで立派な奇跡なのだ。
いい写真だなあ、とつぶやきながら、そっと添えられたメッセージにまたグッとくる。この優しいひと言が、読者の疲れた心にじわーっと沁みわたるのだ。砂漠なんて絶対イヤ、と思っていたはずなのに、いつの間にか、もしかして砂漠もありかな、なんて思ってしまう。
そして、この写真集はひとつの物語でもある。ノンフィクションなのに、どこかふわふわして現実味がない。
すべてを失くす覚悟で好きな人についていった。そしたら、その人は、それまで知りえなかった眩い世界を見せてくれて、お金では買えない愛おしいもので満たしてくれた、という乙女チックな夢物語。そんな「砂漠」への憧憬は、きっと男性にはわからないだろうなあ。
『Life in the Desert ─砂漠に棲む─』
著者 | 美奈子アルケトビ |
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発売日 | 2017年4月 |
出版社 | 玄光社 |
定価 | 1,500円+税 |
(平成31年2月号)