高橋 淑子
半年に1度伺う歯科の待合室で読んだ婦人雑誌の冒頭の文章が、鮮烈であった。
美しい文体、余韻が残る文体だが、文章自体はキレがよい。言葉の無駄がない。このような形で知ったこの作家に出会うまでは、高校生の時に強制的に読まされた吉田秀和の文体が一番美しいと思っていた。ただ、こちらは難解で内容が全く理解できないまま成人になった。
今回、堀江敏幸の随筆集『坂を見あげて』(中央公論新社)を読んだ。堀江氏は芥川賞受賞作家であり、フランス文学者でもある。言葉に熱がこもりすぎず、かといって冷たすぎず。凛とした女性の雰囲気が醸し出される文体とでもいうべきか。
淡々とした文章の中で登場人物たちが出会い、会話をしていくことでじわじわと温度を感じるような作品を作り出す。大きな事件こそ起こらないが、登場人物たちの日常が丁寧に切り取られている。
そしてこの作品もまたそんなふうに淡々と「登場人物の日常」が描かれている。随筆ではあるが、まるで小説のようでもある。書き手は堀江氏であるはずに決まっているが、主人公は別の男のようにも思える。
この「男」は本をよく読む人物なのだろう。自分の日常や経験に「そういえば昔こんな本を読んだ」と様々な本の内容を交えた文が多い。その本は『日本書紀』だったり、ゲーテの『ファウスト』だったり、はたまた絵本だったりする。堀江氏はフランスへの留学経験もあるので、紹介されている本は日本の本だけでなく外国の本も多く、正直、知らない本が多かった。しかし、自分がセンター試験の試験官をしているときに、自分の書いた小説が問題に使われていた、なんてことが書かれている文には、笑ってしまった(ちなみにその小説は私も読んだことがあった)。
さて、そしてこの「男」、どうやら花にも関心があるらしい。水仙、木蓮、ブーゲンビリア、ワレモコウ、ピラカンサ。この章はもともと『花時間』(角川書店)という雑誌に連載されていたものらしく、当たり前といえば当たり前かもしれないが、様々な花とそれにまつわる思い出が書かれていて、詳しいなあと感心した。その花の見た目、形状について詳しく書かれていることもあれば、香りにまつわることが書かれていることもあった。さすが芥川賞作家である。私が街中で見かけて名前が言える花は、桜、紫陽花、椿くらいだし、過去には思い出深かった植物もすぐには思い浮かばない。ほかのものでもいえるだろうが、特に花や野の草花の名前を知るということは、それだけ自分の生活や思い出とその植物が結びついていくものなのだろう。
そういえば、川端康成の名言としてこんな言葉を聞いたことがある。小説に書かれている一節らしい。「別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」
花の名を覚え、その花を判別できるようになるということは、その花を見るたびに印象深かった出来事や大切だった誰かを思い出すようになるということ。自らの表現のためなのか、それとは関係ないのかはわからないが、草花の名前に詳しくなった作家たちには、よくあることなのかもしれない。
『坂を見あげて』
著者 | 堀江 敏幸 |
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出版社 | 中央公論新社 |
発行日 | 2018年2月 |
定価 | 2,200円+税 |
(平成31年5月号)