勝井 丈美
日本の認知症研究の第一人者で、デイサービスセンターを創出された長谷川和夫先生の晩年を、約2年にわたって取材したNHKのドキュメンタリー番組を見た。ご自身の老いと向き合い、記憶力の低下や意欲の低下が、老人の心理にどのような影響を及ぼしているかを、ご自身の言葉と姿で、私たちにお示しくださった貴重なドキュメンタリーだった。
誰もが避けて通れない「加齢に伴う記憶の変化」を認知心理学の記憶に関するエキスパートである著者が、過度に専門的にならず、わかり易く色々な切り口から解説していて、大変興味深かった。シニア世代になった私自身を見つめることにもなった。
記憶の分類の図表は大変わかり易く、加齢によって低下する記憶は「ワーキングメモリ、エピソード記憶」で、低下しない記憶は「意味記憶、プライミング、手続き記憶」だそうだ。プライミングの日本語訳は無く、一を聞いて十を知る的な知識のネットワークとでもいうもの。
年をとっても将棋の棋士やピアニストとして、活躍を続けている方々は、長年にわたる手続き記憶(技能の記憶)のトレーニングによって、記憶を維持し成長までもしていることを示している。私の下手なピアノも、毎日稽古すれば、まだまだ伸びしろがあるかもと、頑張る気持ちが湧いてくる。
著者はいわゆる商業「脳トレ」に批判的である。確かに某新聞に載っている「脳トレ道場」のクイズ的な問題は、高齢者がもともと得意なプライミングをテストするものが多く、それができると、高齢者は喜ぶだろうが。高齢者が不得意なワーキングメモリをトレーニングする最良の方法は意外にも、読書だと著者はいう。
最終章「高齢期の記憶の役割」に記された「人生の受容に影響する重要な記憶」である「後悔」についての考察は著者ならではの素晴らしい内容だ。
「おわりに」の中で、著者は記憶の引継ぎに触れ、絵本『わすれられないおくりもの』を紹介していた。この絵本は幼いこども向けながら、「死」をテーマにしており、何回読んでも心にじーんと滲みてくるものがある。高齢者は、周りの人々にどのように記憶されたいか、そして、何を残すかということを考えさせられる。作者スーザン・バーレイの手による絵もとてもやさしく清々しい雰囲気だ。この絵本に出会えただけでも『老いと記憶』を読んでよかった。
『老いと記憶』
著者 | 増本 康平 |
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出版社 | 中公新書 |
発行日 | 2018年12月25日初版 |
定価 | 780円(税別) |
『わすれられないおくりもの』
著者 | スーザン・バーレイ、小川仁央(翻訳) |
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出版社 | 評論社 |
発行日 | 1986年10月10日初版 |
定価 | 1,200円(税別) |
(令和2年7月号)