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新潟市医師会報より

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鳥居三十郎についての二作品:『窮鼠の一矢』と『武士道残照』

長谷川 尚

日本史において、幕末期は人気のある一時代と思われるが、その時期、越後はどのような状況だったのか? その問いに答えてくれる書籍として、本誌2017年7月号のマイライブラリィで、渡辺れい氏の『最後の決断 戊辰戦争 越後四藩の苦悩』を紹介させていただいた。

その後、幕末期の村上藩家老、鳥居三十郎を主人公とした、河合敦氏による小説『窮鼠の一矢』が出版された。発刊され3年が経過しているが、鳥居三十郎のことをご存じない方も多くいらっしゃると思い、この機会に取り上げることにした。一連の幕末の歴史の中で、越後村上藩の存在は大きなものではなかったかもしれないが、そんな中にも、誇り高きラストサムライがいた、そのような物語である。

村上藩は、藩主内藤家の祖先が徳川家康の異母弟という血筋で譜代大名の名門であり、佐幕的で封建的な気風が強かったそうである。

しかし、石高は5万石の小藩で財政状況も悪く、奥羽列藩同盟の主力である庄内藩、米沢藩、会津藩に、北から東にかけて囲まれるという地理的条件の中で、西軍が迫ってくるという、本書のタイトルにあるような窮鼠の状況であった。

戊辰戦争の最中、藩主は新政府側への恭順を支持しているにもかかわらず、周囲の諸藩から同盟参加への脅迫に近いような圧力を受け、藩内では主戦派の勢力が強かった。しかし、戦況の変化から恭順派に加えて日和見を決め込む藩重役の思惑が入り乱れて、藩としての方針を決断することができないまま、西軍の到来を迎えてしまった。鳥居三十郎は最も若い門閥家老で、熟慮の末、主戦を決意するに至った。生まれながら家老に就くことが定められ、その責任を全うすることを使命と考えていた彼は、藩内での人望も厚く、若い藩主の急逝という非常事態も加わり混沌とした状況の中で、恭順派を抑えつつ、最終的には主戦派を引き連れて村上を離れ、同盟軍とともに、鼠ヶ関近くで西軍と交戦した。村上に残った恭順派・日和見派は、西軍に投降し、一部は西軍の先鋒として、同盟軍と戦った。そこには、村上藩士同志が戦闘する局面もあったという。その後、会津藩、庄内藩が相次いで降伏したため、村上に戻り、叛逆者首謀として新政府側に差し出され斬首の刑を命じられたが、村上藩内で切腹、30年に満たない人生を終えた。

鳥居三十郎については、残された資料が必ずしも多くはないようで、本書においては、随所に著者の創作と思われる場面が登場する。その効果なのか、時代劇のような情景が目に浮かぶようであった。そして、武士魂を貫いた鳥居三十郎の哀れさ、潔さ、切なさ、はかなさに胸を打たれた。

もう少し、鳥居三十郎のことが知りたいと思い、本作品の参考文献にも挙げられている『武士道残照』をインターネットで取り寄せた。こちらは、1990年刊行。既に廃刊となっているようである。新潟の歴史研究者であった中島欣也氏の小説である。2019年に95歳の生涯を閉じられたという。

明治以降に撮影されたと思われる鳥居三十郎の妻や一人娘の写真が掲載され、文章も方言を取り入れるなどして、より生々しさを感じさせる作品である。

中島欣也氏は『武士道残照』の中で、鳥居三十郎のほかに、会津藩士伴百悦を取り上げている(伴百悦の話も大変興味深い)。

詳細は省くが、あとがきにあるように、西欧でいうノブレスオブリージュ(高い身分にともなう責任)に生きた鳥居三十郎が、男らしくさわやかに自分の信念と地位に殉じた人間として描かれている。

戊辰戦争から西南戦争にかけて、結果的には武士が自らの存在を否定することになる戦いに参加し、武士を消滅させた。そこには、武士としての誇りを胸に死んでいった鳥居三十郎のような存在が、いたるところにあったのであろう。いかに潔く最後を迎えられるかが、武士の尊さを象徴しているようにも思う。

一方で、その当時の人口の約9割を占めた、武士以外の人々の立場になって考えれば、武士の時代の終焉が望まれていたと思うし、その結果は必然的であったと思う。

かつて、この地域の病院に勤務したことがある。その当時、鳥居三十郎のことは全く知らなかった。

病院は瀬波温泉街の外れにあり、住まいは病院前の官舎であった。買い物や食事などで、村上の市街地をよく訪れたが、町割りが江戸時代から大きく変わっていないせいなのか、昔の風情が感じられる趣のある街並みが印象的だった。新潟に戻ってからも、村上に何度か足を運んでいるが、最近は街並みの整備が進み、民家で雛人形や庭を公開するようなイベントも行われ、多くの観光客を集めているようである。

鳥居三十郎の死去ののち鳥居家は断絶となったが、10数年後、家名の再興が許された。鳥居三十郎ひとりに責任を押し付けてしまった士族たちは、彼を厚く追悼したという。地元の藤基神社の敷地には、その顕彰碑が残っている。鳥居三十郎に象徴される幕末期の村上藩の歴史は、悲劇に満ちたものであり、また、明治以降も、村上の城下町がひとつの町として、人々が協調して行けるようになるまでには、多くの困難があったと聞く。恐らく、村上の人々にとっては、この時代に起きたことは、心の中にしまっておきたいことなのかもしれないが、村上にも誇り高きラストサムライがいたことを喧伝しても良いのではないかと思う。

『窮鼠の一矢』

著者 河合 敦
出版 新泉社
定価 本体1,700円

『武士道残照 鳥居三十郎と伴百悦の死』

著者 中島 欣也
出版 恒文社
定価 本体1,942円

 (令和2年11月号)

  • < 『昆虫食と文明 ─昆虫の新たな役割を考える─』
  • 『畑打って俳諧国を拓くべし ─佐籐念腹評伝─』 >
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