加藤 俊幸
患者さんや家族の最期はあれでよかったのか、自分はどうするか。医者は迷い続ける。
著者の名を最初に知ったのは1988年のJAMA(日本語版)100号記念の「森鴎外を語る」。当時は東大医学部第一外科医で、母は森鷗外の次女小堀杏奴。孫として『鴎外の遺産』の巻頭文も書いている。
その後は学会誌以外で名を目にしなかったが、本書を2018年5月に出版し、6月BS「在宅死“死に際の医療”200日の記録」で、定年退職後の仕事を知ることになった。番組の反響は大きく2018年日本医学ジャーナリスト賞を、本書は2019年第67回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。
外科医の彼が「生かす医療」の次に選んだのは、在宅診療の「看取り」である。2005年から新座市の病院で訪問診療医として、患者や家族と話し合って苦痛緩和の処置のみで延命措置は一切行わず、欧米でいう「死なせる医療」を実践している。その13年間に355人を看取った中で感じた終末医療の課題をまとめたのが本書である。うち在宅死は271名(76.3%)、病院死は84名。臨終に関わった具体的な42事例をとぎすまされた文章で散りばめながら、文芸作品、哲学書、終末医療の動向に関する報道記事、変わる医療行政に関する政策など多様な媒体を引用して考察と批評を加えている。在宅医療の現場に身を投じて様々な事例を通し、望ましい死のありかたを探る、重い内容である。
終末期の療養について多くの人が自宅を希望しているが、現実の在宅死は13%にとどまる。病院死が一般化するにつれて、自分や家族がいずれは死ぬという実感がなくなり、死を遠い存在として直視することを避けていることがすべての根底にある。患者が食べ物や水分を口にしないのは、飲み込む力がなくなったからで、食べたりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきという。最期は人それぞれに異なって当然で、ただ「死に行く患者が何を最後の拠り所にしているか」を知り、それを共に求めて努力し、その人らしい最後を迎えられるようにする。看取るのは医師でなく家族で、最後に家族が静かに患者の手を握ってあげることが大切だと述べる。
全国の病院死が87%と多い現実の中で、自分はがんセンター40年間に彼の倍の病院死を看取り、診断から死まで向き合いながら患者の人生や家族を知るなかで、自分の年齢やホスピスの導入などとともに考え方が変わってきた。
最終章「見果てぬ夢」で紹介している「ある老医師の手紙」に今は共感する。そして著者も疑問視する「看取り当番医」の問題。がんによる死を受け入れてくれた家族と最後を看取るのは「当番医」であってはならないと考えてきた。「死なせる医療」という言葉が自分は嫌いで、表題のように「死を生きる医療」と呼んでほしいと願う。
今回読み直して、出版時に引用された厚生労働省通達、日本医事新報、朝日新聞などの記事はもう古く思える。
そして、入院してしまうと家族にも面会できないコロナ禍のなかでは、捉え方はより複雑となってしまった。在宅を希望しても発熱する度に家族は不安になり、訪問医も感染への対策に追われている。コロナ感染が恐れられる現在では、「望ましい最後」が選択される余地がなくなってしまったようである。
『死を生きた人びと─訪問診療医と355人の患者』
著者 | 小堀鴎一郎 |
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出版 | みすず書房 |
定価 | 2,400円+税 |
(令和3年1月号)