浅井 忍
人類の経済活動が地球に与える影響があまりに大きいとして、オランダのノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、産業革命以降の地球の地質時代を「人新世」と名付けた。人新世は人類が地球を破壊し尽くす時代だという。著者は、人新世の危機を乗りきる手段を『資本論』に求めている。資本主義を止めなければ、地球の破壊は止められないという。著者は雑誌の対談で、「私たちは資本主義に緊急ブレーキをかける倫理的義務がある」と語っている。
スウェーデンの当時15歳のグレタ・トゥーンベリは、2018年のCOP24で、190か国の大人たちを前にして蛇蝎のごとく吠えた。「あなたたちは、これまでの暮らし方を続ける解決策しか興味がありません。そんな答えはもうないのです。あなたたち大人がまだ間に合うときに行動しなかったからです」と核心をついた。あなたたちとは、ドイツの社会学者が「帝国的生活様式」と呼ぶ生活を送る先進国に住む私たちのことだ。グレタはZ世代の象徴的な人物である。1990年後半以降に生まれたZ世代は、新自由主義が規制緩和や民営化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が深刻化していく様を体験しながら育った。このまま資本主義を続けていってもなんら明るい未来はないと実感している。今まで人類が使用した化石燃料の約半分が、冷戦が終わった1989年以降のものである。アメリカ型の新自由主義が旧共産圏の廉価な労働力や市場に目を向けたのだ。
気候変動はどの程度深刻なのか。2020年6月にシベリアで気温が36℃に達した。永久凍土が融解すれば多量のメタンガスが放出され、気候変動は加速される。北極圏の永久凍土から大量の水銀が流出し、炭疽菌などの細菌やウイルスが解き放たれるリスクもある。科学者たちは、2100年までの気温上昇を産業革命前の1.5℃未満に抑え込むことを求めている。すでに1℃上昇しているから、すぐに行動しなくてはならない。具体的には2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減させ、2050年までに0にしなければならない。もし現在のまま排出し続ければ2030年までに気温の上昇は1.5℃を超え、2100年には4℃上昇すると予測されている。このままでは、地球は人類が生きられない環境になってしまう。
資本主義は人間だけでなく、自然環境からも掠奪するシステムである。そして限度を知らない。資本主義は負荷を外部に転嫁することで経済成長を続けていく。矛盾をどこか遠いところに転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきた。「グローバル・サウス」とは、グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民を指す。
国連は、国際目標として17のグローバル目標と169のターゲットからなる「SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)」を掲げている。「グリーン・ニューデール政策」は再生可能エネルギーや電気自動車を普及させ、大型財政出動や公共投資を行う。そうして安定した雇用を作り出し、景気を刺激することを目指す。果たしてこんなうまい話があるのだろうか。著者は実例を挙げてグリーン・ニューデール政策は、二酸化炭素排出量を下げることができないとする。電気自動車によって削減される世界の二酸化炭素量はわずか1%である。バッテリーの大型化による製造過程で二酸化炭素を多く発生するからだ。グリーン技術はその生産過程までみると決してグリーンではない。脱成長の選択肢を取らない限り、解決はありえないという。資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。SDGsもグリーン・ニューデール政策も、気候を人工的に操作するジオエンジニアリングも、気候変動を止めることができないという。著者は、SDGsは気候変動に対して何かいいことをしていると免罪符を与える現代のアヘンであると糾弾する。脱成長を選択せざるをえないときに、資本主義の仕組みはいくら修正しても立ち行かないのだ。
トマ・ピケティは行きすぎた経済格差の解決策として累進性の高い課税を提唱した。その後、労働者たちが生産を自主管理・協同管理する参加型社会主義を唱えている。しかし脱成長を受け入れていないことと、租税という国家権力に依存するところが問題であると指摘する。著者は解決策を晩年のカール・マルクスに求めている。マルクスは晩年、地質学、植物学、鉱物学などの自然科学を研究した膨大な研究ノートを残している。過剰な森林伐採、化石燃料の乱費、種の絶滅などのエコロジカルなテーマを、資本主義の矛盾として扱うようになっていった。現在、最終的に100巻に及ぶメガ(MEGA)と呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』(Marx-Engels-Gesamtausgabe)の刊行が進んでいる。そこにはマルクスの研究ノート、図書館での書き抜き、アイデアや葛藤も含まれている。『MEGA』を丹念に読み解くことが、現代の気候危機に立ち向かう武器になるという。それは、「脱成長コミュニズム」である。
コミュニズムの「コモン」とは社会的に人々に共有され管理されるべき富のことである。コモンは、水や電力、住居、医療、教育などを公共財産として自分たちで民主的に管理することを目指す。大地(地球)をコモンとして持続可能に管理する。具体的な目安は1970年代の生活レベルである。
著者が提示する脱成長コミュニズムの5本の柱は以下である。⑴使用価値経済への転換:マルクスは商品の属性を「価値」と「使用価値(有用性)」に区別した。資本主義は価値を求めるが、必ずしも使用価値を求めるわけではない。希少性の増大が商品としての価値を増やす。ブランド化や広告は、希少性を人工的に生み出す。有用性を重視する使用価値経済へ転換することが重要である。⑵労働時間の短縮:使用価値の経済への転換のためには、労働時間の短縮が根本条件である。GDPには現れないQOLの上昇を目指す。⑶画一的な分業の廃止:労働者や消費者を支配しやすい閉鎖的技術中心の経済、すなわち利益優先の経済から脱却して、使用価値の生産に重点をおいた経済に転換する。⑷生産過程の民主化:生産に関する知識や情報は社会全体のコモンであるべきだ。⑸エッセンシャル・ワーキングの重視:現在高給を取っている職業として、マーケティングや広告、コンサルティングそして金融や保険業などがあるが、こうした職業は社会の再生産にはほとんど役に立っていないブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)である。エッセンシャル・ワーキングとは、主に医療・福祉、農業、小売・販売、通信、公共交通機関など、社会生活を支える仕事をいう。
「気候正義」という言葉は、欧米では毎日のようにメディアをにぎわせているという。気候変動を引き起こしたのは先進国の富裕層だが、その被害を受けるのは化石燃料をあまり使ってこなかったグローバル・サウスと将来世代である。この不公正を解消し、気候変動を止めるべきだという認識が気候正義である。
では著者の提唱する脱成長コミュニズムの萌芽のような動向はあるのか。2020年1月に、バルセロナが発表した気候正義に基づく「気候非常事態宣言」は野心的であるという。2050年までの脱炭素化という目標を掲げている。この宣言は、自治体職員やシンクタンクが作成したものでなく、市民の力が結集してつくりあげたものである。行動計画には包括的かつ具体的な項目が240以上並ぶ。二酸化炭素排出量削減のために、都市の公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車・飛行機・船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ゴミの削減・リサイクルなどの全面的な改革プランを掲げている。バルセロナのように、政策はトップ・ダウンではなくボトム・アップであるべきだとする。そして著者は本書の読者に行動を起こすよう呼びかける。3.5%の人々が動けば何かが起こるという。
『人新世の「資本論」』
著者 | 斎藤 幸平 |
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出版 | 集英社新書 2020年9月 |
定価 | 1,122円 |
(令和3年5月号)