永井 明彦
猫も杓子も老いも若きも暇さえあればスマホやPCの画面に見入り、我々医療人も電子カルテの利便性を知ると手書きの診療録を離れてペーパーレスとなり、新しい医療知識もネットで検索することが多くなった。会議や講演会もZoomなどを利用し、リモートで行われるようになって遠方からの参加も容易になった。
一方で、ウェブ検索したり、趣味のサイトを覗いたりすると、Google等の検索エンジンはその履歴を基にした膨大なデータを用いて検索者の好みの傾向を分析し、「お勧め」として画面に表示される。まるで利用者の心の中を見透かされるようで、ある意味、怖ろしくなる。
本会報の昨年11月号「マイライブラリィ」欄で細野浩之先生がベストセラーの『スマホ脳』を簡潔に紹介されていた。最近のICT関連の書籍では『スマホ脳』もそうだが、『「いいね!」が社会を破壊する』とか言い得て妙なタイトルの本が多い。その流れという訳ではないが、本稿では、堤美果著『デジタル・ファシズム(日本の資産と主権が消える)』を紹介する。細野先生の軽妙な書評のように、ならばじっくり読んでみようと思わせる、出版社が喜ぶ書評と違って、少し長くなるが、要点を詳述してみたい。
国際ジャーナリストの堤美果氏は自らの米国在住体験を踏まえ、米国社会の影の部分である貧困や格差の実態を遡上に、弱肉強食の新自由主義経済や米国政治の問題にメスを入れてきた。世界的にも新自由主義による効率化の流れが強まり、「公共」が痩せ細っていくのを危惧して、多くの警告の書を世に送り出している。デジタル技術は計り知れない利便性をもたらすが、無自覚でいると手痛いことになると、堤氏はこの新書で警告する。個人情報がIT企業や国家に無限に集積、蓄積していくからだ。ICT(情報通信技術)によるSociety5.0という技術革新社会が効率化を促し、コロナ禍がDX(デジタル・トランスフォーメイション)に拍車をかけることになったが、本書では、その利便性の影に隠れたデジタル化の落とし穴を余すところなく記している。国の行政のデジタル化の司令塔となるデジタル庁が昨年9月に発足したが、本書の発行年月日は2021年8月30日、デジタル庁発足の正にその前日であり、著者は緊急レポートの積もりで書いたと言う。
堤女史は2016年10月に新潟市で開催された日本感染症学会東日本地方会で、会長の塚田弘樹先生(新潟市民病院感染症内科、現慈恵医大柏病院教授)に招聘されて『報道されないアメリカ医療の真実と日本の進路』という興味深い招請講演を行った。筆者も会場の朱鷺メッセで聴講したが、女史のジャーナリスティックな医療の分析に感心した。医療におけるデジタル化については余り語られなかったように記憶しているが、講演の中でヒラリー・クリントンが優勢だと言われていた米国大統領選で、トランプ大統領の当選を予言したのが忘れられない。
さて、本書の構成はⅢ部に分かれ、更に9章に分章されている。Ⅰ部では「政府が狙われる」として、最高権力と利権の館のデジタル庁にメスが入れられ、中国の武漢や深圳での先行事例を通じてスーパーシティの問題点が暴かれる。Ⅱ部では「マネーが狙われる」として、スマホ決済の怖さと世界で繰り広げられるデジタルマネー戦争について詳述している。そして、Ⅲ部ではコロナ禍で余儀なくされたオンライン教育が生む情報格差や教育ビジネスの問題点が、「教育が狙われる」として語られている。
昨年9月に鳴り物入りで発足したデジタル庁は、各省庁に集められたデータを政府共通プラットフォームによって一元化し、とてつもなく大きな権限を持ち、巨額の予算がつく。しかし、このプラットフォームの製造元は国内企業でなく、米国IT大手のアマゾンの子会社だ。アマゾンは世界で支配的影響力を持つ大手テック(IT)企業群の一つで、ビッグ・テック(テック・ジャイアンツ)の米国5社は頭文字からGAFAM(ビッグ・ファイブ)と呼ばれ、中国はBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)の4社が有名である。日本のように安全保障に関わる政府のシステムを、他国の民間企業に任せるケースは世界でも稀である。政府は日本年金機構が2015年にサイバー攻撃を受け、個人情報が流出した事件に懲りて、当てにならない国内企業でなく、外国資本のアマゾンをベンダーに選んだ。だが、アマゾンはCIAやNSAなどの米国諜報機関との関係が深く、日本政府の機密事項が米国に筒抜けになる可能性がある。
ビッグ・テックはデジタル時代に利益を産み出す個人情報を奪い合う。彼らは普通のIT企業でなく、今や個人や社会全体を全く新しい形で支配する。米国では、政府が要求すれば日本人の個人情報データがいつでも開示される「クラウド法」が成立しているし、アマゾンのような米国企業が日本でデジタルビジネスをする際にデータサーバーを本国に置くことができない「日米デジタル防疫協定」も既に両国で批准されている。著者はこれを「デジタルを通して日本人の資産を米国のグローバル企業に売り渡す協定」と指摘する。
外国資本に頼るより安全第一で国産のデジタルシステムやセキュリティ体制の整備が求められているが、日本のテック企業の開発力や競争力は弱く、米中のビッグ・テックの餌食になるのは何故か。著者は出版イベントの座談会で、日本は出る杭が打たれる社会である上、目に見えない技術や仮想空間で扱うデータ、サービスの付加価値、知的財産といった感覚が薄く、コンピューターサイエンスやテクノロジーへの国や企業の投資も少ないためと言及している。他にも理由は考えられるが、筆者には根本的にはアナログ的な日本語の言語構造にあるような気がしてならない。西欧の言語はコンピューター言語と親和性が強い。中国語も発音はともかく言語構造は日本語よりは英語に近い。残念ながら日本人の英語取得能力は低く、コンピューターによるプログラミングや数理的処理能力において、世界的には平均的なレベル以下のようだ。
デジタル庁職員の3割の管理者・技術者は民間企業から迎え入れられている。企業と政府の間を利害関係者が頻繁に行き来するのを米国では「回転ドア」と言うが、デジタル庁でも回転ドアを通じて利益相反が起きると著者は憂慮する。法律で兼業が許されてはいるものの、インサイダー的な情報漏洩も危惧される「合法的利益相反システム」が確立する訳だ。デジタル化は方法論に過ぎないのに、これまでも国民が嫌というほど見せつけられてきた、税金を私物化する「官民癒着の構造」が透けて見えるという。
街を丸ごとデジタル化する「スーパーシティ構想」は、最先端のデジタル技術を駆使しながら、無人行政、無人銀行、無人ホテル、自動運転などを実現し、効率化とスピードを最重視し、セキュリティより利便性が優先される。しかし、公益を目的とした個人情報の使用が企業側のビジネスチャンスと結びつきやすく、個人情報保護上の事故が起きた際の責任の所在の議論が不充分である。この構想は実は、あの東日本大震災を契機に、ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)として誕生しているのだ。大震災被災地の福島県会津若松市をデジタル技術の実証実験場としてスマートシティのモデルが作られ、「デジタル地方都市創生モデル都市」計画が全国各地で進められている。一連のデジタル化推進の後ろには、新自由主義経済路線を唱え、「有識者会議」の座長として政策に大きな影響を与えている政商の竹中平蔵氏がいる。新自由主義とデジタルが結びつく時、巨大利権が生まれる。自治体が解体され、公教育は破壊されると著者は主張する。
「マネーが狙われる」とはどういうことか?世界で二番目にキャッシュレス決済が普及している中国では高額紙幣が存在せず、ATMから偽札が出てくるほど現金に対する信用度が低いため6割がスマホ決済に廻る。中国人はアリペイなどのモバイル決済を通じて、ありとあらゆる個人情報を自国のビッグ・テックのアリババとテンセントに吸い取られ、私生活を丸ごと監視されている。
キャッシュレス決済が世界で一番進んでいる国は韓国だが、1997年のアジア通貨危機でIMFに介入されたことを契機に、国を挙げてキャッシュレス計画を推進してきた。だが、通貨危機で弱体化した韓国は外資金融業界にとって格好のターゲットとなり、キャッシング貸出金額の上限規制を撤廃させられ、多くの多重債務者がカード地獄を味わうことになった。これらの不良債権が限界を超えれば、韓国経済はドミノ倒しのように崩れていくだろう。
日本はキャッシュレス決済率が3割という稀に見る現金大国で、ガラパゴス化したデジタル後進国だという。だが、「自然災害大国の日本では現金を持っていることの意味は大きい」と著者は言う。日本で利用率1位のQRコード決済アプリPayPayはセキュリティが弱く、情報漏洩規模はクレジットカードの2千倍になる。しかも日本政府の複数のキーマンがPayPay関係者だというに至っては何をか況んやだが、上述したアジアのキャッシュレス大国の光と影を慎重に見極めていく必要があろう。そして、熾烈なデジタルマネー戦争のゴールは“世界統一デジタル通貨”になるそうだ。経済成長を維持するため国際通貨リセットが避けられず、国家の通貨発行権が消滅するというのである。
コロナ禍でリモート授業が当たり前になった教育におけるデジタル化の問題が「教育が狙われる」として最後に述べられている。人間は対面で触れ合って共感を育む脳機能がオンになる。対面授業がなくなって生徒や学生の多様性に対する理解が乏しくなり、教育はもはや一方通行の情報に過ぎなくなっている。パンデミックのために世界各地でオンライン教育が実施されているが、YouTubeで動画を見ているのと何が違うのかという不満があちこちで聞かれる。そんな中で、政府文科省が力を入れる「GIGAスクール構想」が急ピッチで進んでいる。GIGAはGlobal and Innovational Gateway for Allの略で、1人1台の端末とICT環境の整備で、子供一人一人に適したより深い学びが実現できるという。「GIGAスクール構想」はプラットフォームを提供し、生徒達の膨大な個人データを収集するGAFAのドル箱で、ベネッセなどの国内教育産業も絡み、個人情報保護ルールが緩められているという。また、冒頭で触れたWeb会議ツールのZoomは講義や講演会で用いるのには便利で利用価値があるが、各国政府や米国のNASAは他国への機密情報の流出を警戒して、関係者会議では用いない。ところが、嘘か誠か、日本政府は情報管理に気をつけて使用するよう各省庁に通知したという。等々、Ⅱ、Ⅲ章では刺激的で気が遠くなるような問題点が列挙されている。本稿では簡単な解説に留めたので、実際に本書に当たることをお勧めしたい。
全編を通して強調されているのは、デジタル化の推進には「公共の精神」が不可欠であるということだ。「効率・数値・スピード」以外には価値を認めない新自由主義が、デジタル・テクノロジーと組み合わさる時、ディストピア(絶望郷・暗黒監視社会)が招来すると著者は強調する。逆に台湾のオードリー・タンが言うように「デジタルを上手に使えば、幸せで民主的な社会ができる」とも。
個人情報は「性悪説」で守るものだという前提で、ブロックチェインを利用して透明性を確保する「強い規制」をかけるなど、エストニア政府が行政をデジタル化した際に導入した知恵と工夫を学ぶべきなのに、日本は逆行していると著者は嘆息する。我が国では、デジタル政府の要となるマイナンバーと個人情報の紐付けを国民が嫌い、マイナンバーカードの普及に1.8兆円もかけるなど、エストニアと違って国民が政府を信用していないことの証左ではないか。
すさまじい速度で進むデジタル化の波に翻弄されながら、我々の意識はどこまで付いていけるのだろう。「一部の専門家しか理解していない情報の非対称性」が「高速で進化するデジタル化の魔法」をかけるのを、新たなファシズムと言うべきなのか。デジタルの魔法にかからずに一人一人が未来を選択していく他はない。
『デジタル・ファシズム(日本の資産と主権が消える)』
著者 | 堤 美果 |
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出版 | NHK出版新書 2021年8月 |
定価 | 968円 |
(令和4年1月号)