木村 洋
「ドストエフスキーの試食をどうぞ」とあります。どんなにおいしいステーキでも畳一畳分もあったら、うっと来るでしょう。ステーキもいろいろなカットの仕方をして食べやすく楽しませてくれる店があるそうです。ドストエフスキーの小説は長編でテーマも重く難解でなかなか読破できません。山に例えるとエベレストでしょうか。著者は『カラマーゾフの兄弟』というエベレストを高尾山(新潟ならさしずめ弥彦山でしょうか)に例えて、本書を読みやすく翻案したといっています。山に登る楽しさは十分に残して。
高校生の頃、家にあった世界文学全集でドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』を読んだような記憶はあります。しかし、最後まで読破したのかどうかの記憶がありませんし、内容もはっきり言って覚えていません。本屋で本書の「はじめに」と「あとがき」を目にして購入しました。3千頁を2百頁程にちぢめてあり、翻訳というよりは著者がいうように翻案されていたものと言えますが、非常に読みやすくなっています。それでいて原作の雰囲気をよく残していると思います(原作は読んだかどうかは分かりませんが)。翻案小説といえば『ああ無情』(ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』)、『巌窟王』(アレクサンドル・デュマ『モンテクリスト伯』)、『鉄仮面』(フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ『サンマール氏の二羽の鶫』)など黒岩涙香の翻案小説を例として挙げていますが、原作以上に日本では広く流布しているものもあります。
ドストエフスキーは「スリルの悪魔」であり、「スリルの神様」であると江戸川乱歩は書いているそうです。また、どの作品をとっても「スリルの宝の山」であることを発見されるに違いないとも云っています。つまり本書はミステリーだけを抽出して翻案したカラマーゾフの兄弟です。
「フョードル殺し(父親殺し)の3日間」とその後の「逮捕と取り調べ」、「殺したのは誰なのか」、「裁判」、どんでん返しの「エピローグ」へと、いわゆる推理小説のフーダニット(犯人は誰か?)、ハウダニット(どうやってやったのか?)、ホワイダニット(なぜやったのか?)という推理小説の三大要素に焦点をしぼって、他のエピソードを大胆にカットしています。しかし取り調べ対決の面白さ、法廷ものの面白さ、さらにラストのどんでん返しと、十分の一以下に内容が圧縮されているとはいえ、事件の概要が整理されて、ディテールもよくみえてきて、とても読みやすいものとなっていると思います。
食後(いえ読後)驚きの味に出会えたような一冊。興味はあるもののなかなか手を出せなかった『カラマーゾフの兄弟』、まさに通りすがりに、騙されたと思って食べてみて〜♪なんて試食を勧められた感覚。そして意外な驚きの味、美味しさ、食べやすさに出会えた感覚です。「はじめに」と「あとがき」も素晴らしくそそられる。まるでテレビショッピングの話術にハマり思わず購入してしまうレベルの上手さだったと読後の感想を書いている人がいましたが、まさに私もその一人です。原作をじっくり読んでみたい気にもなりましたが、果たしてトライする気力と体力はのこっているのか…そこが問題。
結末については読んでのお楽しみ
ドストエフスキーの試食をどうぞ!
『ミステリー・カット版 カラマーゾフの兄弟』
著者 | ドストエフスキー著・頭木弘樹編訳 |
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出版 | 春秋社 |
定価 | 1,870円(税込み) |
(令和4年2月号)