高橋 美徳
うなぎといえば蒲焼き、日本人は江戸時代以来夏バテ防止にと好んで食べてきた。土用丑の日にうなぎを食すと滋養に良いというのは、医師でもあった平賀源内が夏場の売上不振に困るうなぎ屋に頼まれて作ったコピーであるともいわれている。私も大好きだが、遠くない将来食べられなくなってしまうかもしれない。メイフラワー号でアメリカ大陸にたどり着いたプロテスタントたちが何も生活物資を持たない中で、うなぎを食べて生き抜いたという逸話は興味深かった。今ではアメリカの食卓にのぼることはほとんど無いが、ヨーロッパ各地ではうなぎが食べられている。しかし日本ほどうなぎを食べる国は他になく、世界で捕れるウナギの7割が日本で消費されているそうだ。
筆者は父とのウナギ釣りの思い出をつぶさに語り始める。父から教えられる釣法は祖父からの伝承と聞かされ、筆者はそれを素直に受け止めていた。2人きりのウナギ釣りの記憶に交えて、ウナギの生態研究の歴史を紐解いていくが、それはアリストテレスの時代にまで遡る。アリストテレスの記述によれば、ウナギは生物でありながら、生殖によらず泥から生まれるとされた。現代となってはまさかと思われる説であるが、干ばつで完全に干からびた大地から雨でできた池にウナギがあふれ出てくる様子から導き出されたものらしい。
私にとってウナギは是が非でも捕りたかったが、ついに叶わなかった貴重な魚だ。夏休みに越後湯沢の国道沿いにあった錦鯉センターで、水を含むと溶けていく糸のついた錨針で引っ掛けてつり上げる釣り堀に足繁く通った。狙いをつけたウナギのエラ元めがけて引っ掛けるのだから、今思えばなんと酷いことをしていたものだと思う。もし釣り上げられても生きたウナギが捌けずに困却しただろうに。
精神分析学の父ジークムント・フロイトが19才の頃、ウナギ研究のためイタリアのトリエステに滞在し、数百匹のウナギを解剖しその精巣を探した下りがある。結局ウナギはフロイトに生殖の謎を明かすことは無く、かの天才をして残念な結果を報告書に記すこととなった。1922年にデンマーク人の海洋生物学者ヨハネス・シュミットが20年の歳月をかけて底引き網を用いて探索し、大西洋のウナギの産卵場がサルガッソー海であることを発見した。海藻豊富なサルガッソー海がウナギの生まれるところであり、頭の小さな柳葉形態のレプトセファルス幼生は海流に流されながらアメリカ大陸、ヨーロッパに達し、それぞれ河川へ遡上する。成熟には15年以上が必要といわれている。ニホンウナギに関しては、2009年東京大学海洋研究所の塚本教授らが西マリアナ海嶺の南端部で卵を抱えたメスと成熟したオスを採集することに成功し、そこが産卵場であることを特定した。
ヨーロッパウナギは井戸の底で155年も長生きした個体が知られている。ペットとして飼われていたプッテと名付けられたウナギはスウェーデンの水族館で88才まで生きたと記録されている。生殖行動へのスイッチが入らなければ、魚類は途方もなく長生きができるらしい。1億年の歴史を持つ生物を乱獲や河川整備による生息域の悪化、気候変動・海流の変化などヒトの活動によって絶滅の危機に追い込んでいる。私達が食べているうなぎは、流れ着いて遡上しようとするシラスウナギを捕獲し育てる半養殖のウナギである。ウナギの完全養殖の試みはかなり進んできており、生存率も上がってきて今後絶滅回避が期待できそうだ。しかし筆者は日本のウナギ産業の技術に関してそれなりに評価していても、それほど熱く語ろうとはしない。
ウナギに関する広範な研究・知見の歴史を紹介しながら、自分と父の人生にウナギの生き方を重ね合わせて章を繋いでいく。溢れるウナギへの愛情をもって書き進められた、謎多きものへの憧憬が感じられる彼の初の著作となっている。書中で紹介されている、海洋生物を擬人化して海の生態系について書かれたレイチェル・カーソンの『潮風の下で』も読んでみようと思っている。
『ウナギが故郷に帰るとき』
著者 | パトリック・スヴェンソン |
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訳者 | 大沢章子 |
出版社 | 新潮社 |
発行日 | 2021年1月25日 |
定価 | 2,200円(税別) |
(令和4年6月号)