黒田 千亜紀
新潟駅のホームから小ぶりなスーツケースをコロコロ引いて、とりあえず指定席に着く。車内アナウンスを聞き流しながら周囲の人の雰囲気を感じ、動き出した車窓からの眺めに目をやる。その時私はいつも「今月乗るのは初めてだから…」と、移動の目的がなんであれワクワクしていた。真っ先に手に取ることもあれば、あえて景色のつまらないトンネル地帯までとっておくこともあった。JR東日本の車内情報誌『トランヴェール』。毎月1日にその月の新刊に入れ替えられるからだ。以前はただ単に、手持ち無沙汰に開いてパラパラとめくり、旅の楽しみ方や情報などに目を通すだけのものだった。路線図を隅から隅までじっくり見て面白がったり(今は無くなったけど)。それはそれで旅情を掻き立てられる内容もあったが、数年前、その旅のエッセイに出逢い、息を呑む様な感覚を覚えた。じんわりと温かい気持ちになることもあれば、人間性や現代社会を考えさせられることもある。何度も読み返して味わうこともあったし、近くの席の人に気付かれないように汗を拭くふりをしてハンカチで涙を抑えることもしばしばだった。
『旅のつばくろ』その題名も心惹かれる。ツバメつばくろつばくらめ。誰もが知っている渡り鳥。いつだったか、野鳥にしろ獣にしろ、なぜ野生の生き物はあんなに美しく、いきいきと輝いているんだろう…と、ふと不思議に思った。愛犬が年老いて、知人も、有名人も、親しい人も、自分自身も…気がつくと歳を重ねてゆく。当然のこと。そうか…野生の生き物は、若くて至極健康なんだ。私たち人間と、人間に守られている一部の生き物はそういう訳にはいかないけれど。日本的な思考では、ペットにしろ動物園の動物にしろ、できるだけ長く生きて欲しいと願うのが一般的で、それはもちろん身近な人にもあてはまる。愛犬にできる限り永く、温かい体と、食べる力と、気力のある瞳を望んだ日々も記憶に新しい。だけどそれはまた、別の話。
作者の沢木耕太郎さんは1947年生まれとあるから今年75歳になられるということ。若者ではない。若者は人に道を訊かずにスマホに訊く。沢木さんは旅先で道がわからなければ人に訊く、と文章の中にあった。それが時に合理的でなかったとしても、その無駄とも思える時間が豊かな出逢いを生むことを知っている。沢木さんの今までの人生で交流した人、インタビューした人、たくさんの言葉が、沢木さんの感性によって記憶され、旅という刺激によって呼び起こされる。たくさんの記憶の本棚があるから、何気ない人の言葉も見聞きしたことも、気付きとなり想いに繋がる。そして読んでいる私たちの心に届く。
沢木さんという方は、それが著名な人であろうと田舎道ですれ違った人であろうと、目の前の人、一人ひとりにとても自然でまっすぐな気持ちで向かい、受け止める人だと感じる。国民誰もが知っているスターであっても、心の態度が変わらないから相手も気負いなく自然体でいられる。最新刊の『飛び立つ季節』の中で、そうした沢木さんのスタイルを決めることになったエピソードも書かれている。ルポルタージュというのかノンフィクションというのか、沢木さんが生きて来た世界の習慣のような、とにかく描写に虚構が無いのだろう。電車の旅で見かけたおじいさんと孫、道を尋ねたら道案内をしながら一緒に歩いてくれた高校球児。二人の微妙な関係やその人独特の雰囲気が活きいきと伝わってくる。
しばらく新幹線に乗らない期間に、連載が単行本となったことを知りすぐに購入した。その後久しぶりに乗車した時は、まだ連載が続いていたことに安堵した。そして今年の春、なんとなくデザインが変わった様子の『トランヴェール』を手にして不安になった。連載が終わっていた。ショック…。しかし、第2弾の『飛び立つ季節』が刊行されたことを知り喪失感が随分救われた。後書きによれば、数年後には三冊目の『旅のつばくろ』も予告されている。(第3弾と言っても良いけれど、著者が三冊目と書いておられます。)
今頃になって、ようやく気づくこと、知ることの多さに驚く日々である。全力で走って初めて感じられる感覚もあれば、立ち止まって初めて見える風景もある。『旅のつばくろ』は、人が長く生きていく上で、曖昧でもいいから記憶や感性が残っている限り、心はときめき、輝き続けることができるのだということを教えてくれている感じがして、嬉しくなる。野生の生き物の持つ無垢な命の輝きとは異なるけれど、そんな心の輝きは人を充分に幸せにしてくれる。
『旅のつばくろ』
著者 | 沢木耕太郎 |
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出版 | 新潮社 |
発行日 | 2020年4月20日 |
定価 | 1,000円(税別) |
『飛び立つ季節』
著者 | 沢木耕太郎 |
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出版 | 新潮社 |
発行日 | 2022年6月30日 |
定価 | 1,000円(税別) |
(令和4年10月号)