熊谷 敬一
ウクライナと日本には共通点がある。1つは原発のメルトダウン事故を経験したことである。ウクライナでは、1986年にチョルノービリ原発で水蒸気爆発を起こしメルトダウンに至った。日本では、2011年に東日本大震災により福島第一原発で電源喪失し水素爆発が生じ、やはりメルトダウンとなった。いずれも甚大な被害がもたらされた。
もう1つはロシアと戦争状態にあることである。第2次世界大戦末期、ソ連は日本に宣戦布告をして南サハリンと千島列島を占領した。シベリア抑留も行われた。しかし、ソ連はサンフランシスコ講和条約に参加せず平和条約が結ばれなかった。ソ連の後継国であるロシアとも平和条約が結ばれないままであり、形式的には戦争状態にあるといえる。ウクライナは、2022年2月24日、ロシアに侵攻された。ロシアは特別軍事作戦であると主張し戦争とは認めていない。しかし、実質的な戦争であることは間違いない。連日、戦闘による破壊や人的被害が報道された。21世紀のヨーロッパでこのような悲惨なことが起きてしまったことに、誰もが驚いてどうしてなのかという疑問を抱いたと思う。本書ではロシア侵攻までの歴史的経緯が詳しく述べられている。
ロシアにはウクライナはロシアの一部だという考えがあった。ロシアはウクライナがすぐに降参すると考えて侵攻したといわれている。そして軍事演習という名目でロシア軍がウクライナ国境に展開されていたため十分な兵站が確保されていなかった。しかし予想に反してウクライナ軍が頑強に抵抗し戦争が長期化した。はたしてウクライナはロシアの一部だという考えは正しいのだろうか。その反論が本書に記されている。ウクライナの最初の国家は、882年にヴァイキングの首長により創建されたキーウ・ルーシ公国である。キーウが首都でウクライナからロシアまでの広大な領土を持つ多民族の国家連合であった。12世紀の文書からの引用で「キーウはロシアの都市の母」という表現が使われることがある。しかし、この国家は13世紀にモンゴル帝国に侵略され消失しており、一つの国として発展することはなく、ロシアもウクライナも後継国であるとはいえない。その後、ウクライナは14世紀にリトアニアに併合され、16世紀にポーランドに併合された。17世紀にはコサックが蜂起し独立の機運があったが、ロシアに助力を求めた結果、ドニプロ川を境に西はポーランド、東はロシアに分割された。その後も何度か独立の動きがあったが、いずれも失敗した。ウクライナの最初の独立国家はウクライナ国民共和国であり、1919年1月22日に領土を統一した。しかし、この統一は長く続かず、1922年に連邦共和国としてソヴィエト連邦に加盟することになった。ウクライナが最終的に独立したのは、ソ連崩壊の過程においてであり、1991年8月24日であった。このように、ウクライナの独立は比較的最近のことなのだが、しかしそれまでの一連の試みの中で独立は織り込み済みであった。それらが失敗することが多かったのは、ウクライナの領土が常に、現在もなお、外部の強国に狙われているからである。
厳冬期に入ったウクライナではロシアによる無人機攻撃の頻度が加速しており軍事侵攻が続いている。また、ロシアは核兵器を予防攻撃に使えるという認識を示した。これまでにも核兵器の使用をほのめかす発言があったが、それをさらに一歩踏み込んだものといえる。ウクライナもかつては核保有国であった。ソ連時代に配備された核兵器がウクライナの独立後もそのまま保有されていた。1994年にウクライナはブダペスト覚書により、ロシアとアメリカとイギリスが領土保全を保証してくれることと交換に核兵器を放棄した。それが今は、この覚書により期待されるはずの保護が提供されていない。そのため、ウクライナの一部にはロシアに対する抑止力となる核兵器を放棄したことを後悔している人がいるという。いずれにしても核兵器が使用されるような事態は絶対にあってはならない。ウクライナが日本に続く第2の被爆国となるようなことがないように、またこの理不尽な戦争が一刻も早く終結することを切に願う。
『ウクライナ現代史 独立後30年とロシア侵攻』
著者 | アレクサンドラ・グージョン Alexandra Goujon 鳥取 絹子 訳 |
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出版 | 河出書房新社 |
発売日 | 2022年8月30日 |
定価 | 本体800円(税別) |
(令和5年1月号)