黒田 千亜紀
まだ古町が平日の日中から賑わっていた頃。学校の下校時などにアーケードの中を通ると、「アンケートにご協力をお願いします」などと20代くらいの男女2人組に声をかけられることがあった。大抵は上手くすり抜けるのに、ある時うっかり立ち止まってしまった。
2~3質問され、「読書はされますか?どんな作家さんのものを?」そこで「遠藤周作…」なんて口を滑らせたせいで相手は「遠藤周作ですか⁉」と色めきたった。平たく言うと、彼らは宗教の勧誘みたいな人達だった。当時遠藤周作といえば宗教文学という通念があったであろうから、これはいけると思わせてしまったのかもしれない。「狐狸庵先生(ユーモアエッセイの際のペンネーム)の方です!」なんてお茶を濁す方法も持っていなかった私はオロオロしながら逃げ帰って、すっかりアンケート嫌いになってしまった。同じ頃、同じ学校の女の子が駅前で宗教の勧誘に会い、入信したらしいという噂を聞いた。あまり交流はなかったが、とても優しい、いつも奥ゆかしい笑顔の印象の子だった。その噂が陰口のように聞こえて悲しかった。そんな時代の日本で生まれ育って、「宗教」という言葉に一抹の翳りを感じてしまう人は少なく無いのではないかと感じる。
では、「信仰」…は?教えを信じ、尊び、愚直なまでに従う姿、場合によっては無私無欲な姿を想像するのではないだろうか。青年時代に信仰など無意味だと語ったある男性が、神父様から「生きることに大きな苦難を伴う時、信仰なしには生きられない、宗教を必要とする人もいるのだ」と言われて理解したという話を聞いたことがある。では、信仰がないと言われがちな日本人には苦難などないかと問われれば、もちろんそんなことはない。自分自身に当てはめて、ふと考える。迷い、立ち止まる時、何を信じ何に従って生きる選択をするのか。私の場合は「自然科学」。「自然科学」という教えを信仰しているといって間違いないように思う。日本人も皆それぞれに、時に何かに手を合わせ、時に何かに判断を委ねてなんとか生きている。では、著者は?遠藤周作は、どう生きたんだろう。
生来病弱な作者は、一旦は文壇で認められたものの、30代で生死をさまよう様な入退院、手術を繰り返す。最後の、成功率の低い手術に際して手術室の扉が閉まった瞬間、悔しい気持ちが湧き起こったという。「もし生きて還ったら、今度はなんの遠慮もせずに書きたいものを書こう」と。
あの『沈黙』も、この『影に対して』も、この療養ののち、年月を空けずに書かれていることになる。
この作品は作者が亡くなって20年以上を経て、2020年に発見された。作者の心の根底にあり、心を占有していた思いを、いつかは必ず書き表したいと願いながらも、登場する身近な人々への配慮もあり発表を見合わせていたのかも知れない。
彼の母に関する思い出、彼の育った家庭はあたたかい愛にあふれたものではなかったと思う。しかし、彼は特別に愛されていなかったわけでもないし、大切にされていなかったわけでもない。父も、母も、それぞれのできる限り、精一杯の選択で彼を守り、導いた。にもかかわらず、彼の父母への思いは一生影をまとう物となった。まるでカードの裏表のように、両者を同時には肯定できない。その思いが「踏み絵」というモチーフへと繋がっているようにも感じる。
彼の信仰は、母により導かれたものだった。母に対するどうにもならないもどかしい思いが、生涯付きまとう。彼の信仰と、信仰とは何かを追い求める人生は、そのまま、母とは何者だったのかを追い求めることに繋がった。その苦悩こそが、彼を突き動かし、取材という形で、物書きという形で、答えのない答えを探し続けさせたのではないか。彼のたくさんの著作の源泉はここにある。この作品を読んで初めて、彼の作品群の根幹が見えるのではないかと思えてならなかった。
『影に対して―母をめぐる物語―』
著者 | 遠藤周作 |
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出版 | 新潮社 |
発行日 | 2020年10月29日 |
定価 | 本体1,600円+税 |
(令和6年3月号)