永井 明彦
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、パンデミック3年後の2023年5月にWHOから「公衆衛生上の緊急事態」の終了が宣言された。我が国でも感染症法上の位置付けが5類感染症に移行し、全例把握が中止されたが、発生後4年経過した現在もエンデミックにはなっていない。ウイルスは変異を続けて集団免疫は成立せず、終息するどころか2023~2024年冬には、非公式ではあるが、オミクロンのピロラ株から派生した亜型のJN.1株による第10波が到来し、その後もダラダラと流行が続いている。
インフルエンザは人々が抗体を持たない新型でも抗ウイルス特効薬があり、怖れることはないが、新型コロナウイルスは当初、デルタ株が新型肺炎等の重篤な病態を惹起し、診断法が確立せず、治療薬やワクチンの開発も遅れた。そのために国の内外で人流が制限され、強硬なゼロコロナ政策を採った中国を始めとして、世界各国に経済不況がもたらされた。COVID-19を極端に怖れて情報を遮断されたロシアのプーチン大統領は、無謀なウクライナ侵攻を強行し、ロシアはG.オーウェルが小説『1984年』で予言したソビエト的専制主義体制に逆戻りした。100年前のスペイン風邪パンデミックは第一次世界大戦を終わらせたというのに何たる歴史の皮肉だろうか。F.フクヤマの言う『歴史の終わり』が未だに来ない状況を作り出すのにも、COVID-19のパンデミックは一役買っている。
この4年間、日本の感染症対策は場当たり的な対応を繰り返したが、ウイルス学や免疫学の専門家はNature、Science、NEJM、PNASなどの一流学術誌に載ったCOVID-19に関するエビデンスを要約して一般に紹介した。また、群盲が象を撫でるようにCOVID-19に関する多くの書籍が出版され、インターネット上のSNSサイト、Facebook(FB)やX(旧Twitter)等でも持論を展開する識者やインフルエンサーが数限りなく現れた。その中で、流行当初から啓蒙的な情報提供をされたのは、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授である。山中先生は他の研究者の秀逸なブログも紹介し、100年ぶりのパンデミックに対して医療界挙げて対抗していこうという気概を示された。しかも、日本人や東アジア人に犠牲者が少ない理由として“ファクターX(FX)”なる概念を提唱し、日本のパンデミック対策に「奇妙な成功」をもたらした要因について多くの情報を発信し、議論を喚起した。その後、FXには生物学的な仮説と社会学的な要素があることも知られるようになった。
昨年のノーベル医学生理学賞は、COVID-19に対するmRNAワクチンの研究開発者であるハンガリー人、カリコー・カタリン博士にも与えられたが、博士の研究は山中教授のiPS細胞がなければ生まれなかったといい、山中先生とカリコー博士の研究上の交流もmRNAワクチンの開発研究に寄与した。そういう意味でも、山中教授のブログは大きな意味を持つ。また、参議院議員でもある慶応大外科出身の古川俊治先生は、COVID-19に関する膨大なエビデンス・リストを流行初期にブログに纏め、山中先生もその労作をブログで紹介していた。一方、岐阜大神経内科教授(新潟大H4年卒)の下畑享良先生もCOVID-19における免疫応答や中枢神経病変、さらにlong COVIDに関する情報発信をFB上で継続されている。先生には昨年秋に医学部学士会でCOVID-19に関する感銘深い特別講演をしていただいた。
今回のコロナ禍では、インフォデミックという言葉があるように、特にmRNAワクチンに関してSNS上でフェイク・ニュースやディスインフォメーション(偽情報)が氾濫し、未知のウイルスに対する不安からか陰謀論を唱える輩も数多く現れた。また、厚労省の医系技官は一流学術誌に目を通す余裕もなかったのか、当初、空気(エアロゾル)感染や無症候性スプレッダーの存在を認めず、PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査を制限してクラスター対策に傾注した。そのため介護施設や飲食店は備品の消毒に明け暮れ、アクリル版での間仕切りに拘って換気を疎かにし、皮肉にも逆に多くのクラスターを生じる事態を招いてしまった。
呼吸器内科医の端くれとして、パンデミック当初より、COVID-19の成立機序に興味を持ち、その診療に資するよう種々の情報を集めて、医師会役員のメーリング・リスト等で発信してきたりしたが、本稿では、参考になった関連図書の一部を「マイCOVID-19ライブラリィ」として、まとめて紹介してみたいと思う。
まず、山中先生のブログでは、東大名誉教授の黒木登志夫先生の著書が2冊紹介されていた。それは『新型コロナの科学、パンデミック、そして共生の未来へ』(中公新書2625)、『変異ウイルスとの闘い─コロナ治療薬とワクチン─』(中公新書2698、2022年5月出版、税込み1,034円)(写真左)である。黒木先生のブログ(COVID TK-File)や著作では、コロナ感染症の蔓延で生まれた秀逸な短歌や俳句も紹介されており、100年前のスペイン風邪パンデミックの際にも見られた医療と文学との結び付きに触れられていた。さらに、スペイン風邪の原因であるインフルエンザウイルスを発見したのが、日本人研究者の山内保博士であることにも言及している。当医師会報2月号マイライブラリィ欄で、9班の阿部志郎先生が紹介していた『ウイルスの意味論』(みすず書房)の著者の山内一也先生は、最近『インフルエンザウイルスを発見した日本人』(岩波科学ライブラリー321)を上梓し、「残念ながら縁もゆかりもない」同姓の先輩、山内保先生の偉業を記している。黒木先生はノーベル賞の受賞に至ったmRNAワクチン開発の経緯も詳しく解説している。当時、ワクチン開発競争のトップに立っていた東大医科研の石井健博士が、実利的研究を推進する政府に研究費をカットされ、研究をストップさせられたことなど、日本のワクチン開発が遅れた残念な理由も挙げられている。また、画期的なmRNAワクチンの開発には、60カ国から集まった若く野心的な米国への移民が中心となった事実を挙げ、あらゆる分野で日本が益々取り残されるのではと、黒木先生は危惧している。さらに、先生はmRNAが認識されるのに必要なcap構造が、新潟薬科大の客員教授だった故古市泰宏先生によって発見されたことに触れ、ワクチン開発の鍵となったmRNAに含まれるシュード・ウリジンが、銚子のヤマサ醤油で生産されていることも紹介されている。
そして、東大医科研の河岡義裕先生は『新型コロナウイルスを制圧する』(文藝春秋刊)、『ネオウイルス学』(編集:集英社新書1059G)を出版し、ウイルス学者として、専門的な知識を解りやすく解説された。さらに、河岡先生の弟子筋にあたる東大医科研の新進気鋭のウイルス学者、佐藤佳先生による『G2P-Japanの挑戦─コロナ禍を疾走した研究者たち』(聞き手:詫摩雅子、日経サイエンス社、2023年12月出版、税込み1,980円)(写真右)は、新奇のコンソーシアムを立ち上げ、新型コロナウイルスを追った気鋭の若手ウイルス学者の3年間の記録である。手慣れたサイエンス・ライターによるルポルタージュであるが、知的興奮を誘われ、一気に読み通すことができた。G2Pは「遺伝子to形質」の意味で本家英国のG2P-UKのパクリだという。我が国のアカデミア、佐藤先生は自嘲的に「大学業界」と言うが、その研究環境や研究者同士の協力の乏しさが浮かび上がる内容だ。パンデミックが始まった当初、世界中からウイルスゲノムのデータを集積し、ウイルス変異を解析するGISAID(インフルエンザウイルスやSARS-CoV-2のゲノムデータに関する世界的イニシアティブ)が立ち上げられたが、我が国のゲノムデータは国立感染症研究所(感染研)が独占しており、G2P-Japan以外からの日本発の論文が少ない原因になっている。科学技術政策の視点に立てば、いたずらに「選択と集中」を推し進めるのではなく、特徴的な研究拠点が並び立つ豊かな研究環境を守る必要があるともいえる。
さらに、常に国の医療政策を批判してきた上昌広先生は、『日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか』(毎日新聞出版)、『コロナ収束のための処方箋』(監修:緑風出版)、『厚生労働大臣の大罪 ─コロナ政策を迷走させた医系技官の罪と罰─』(中公新書ラクレ802)を出版し、我が国の感染症医療政策の問題点を鋭く指摘している。CDCという組織を持ち、パンデミックをコントロールしてきた米国に比べると、縦割り行政でCOVID-19政策が立ちゆかない日本、東大医科研に籍を置いたことのある上先生の著作を読むと、サイエンスなき厚労省医系技官や感染研人脈が、パンデミック対策をミスリードし、我が国の新興感染症に対する研究や対策が遅れを取ってしまった原因がよく解る。
大阪大の宮坂昌之先生は、当初、安全性が未確認のためmRNAワクチン接種には慎重な姿勢を取っていたが、その後、一流紙に載った科学的エビデンスを基に接種を推奨するようになり、反ワクチン派のまき散らす偽情報に対し、FB上で精力的に反証された。代表的な著作は『新型コロナワクチン本当の「真実」』(講談社現代新書2631)、『新型コロナ7つの謎』(ブルーバックスB-2156)だが、この4月に定岡知彦氏との共著『ウイルスはそこにいる』(講談社現代新書2742)を出版した。科学的エビデンスに基づき、平易に書かれたCOVID-19やウイルス学の解説は一般人にも理解しやすい。
また、国立国際医療研究センターから阪大教授へ転身した忽那賢志先生は、『専門医が教える新型コロナ・感染症の本当の話』(幻冬舎新書611)を上梓するとともに、ブログでも広く発信し、反ワクチン派から誹謗中傷を受け、SNS上で炎上したが、ひるむことなく科学的根拠に基づく情報発信を続けられた。その反対に獣医学者の宮沢孝幸先生は、『ウイルス学者の責任』(PHP新書1303)に続いて、異端の書とも言える『コロナワクチン失敗の本質』(鳥集徹共著、宝島社新書653)を出版し、福島雅典京大名誉教授と同様に反ワクチン派に支持されたが、結局、陰謀論のお先棒を担ぐことになり、京大の研究職を解雇されてしまった。
最後に、番外の書物として以下の3冊を挙げたい。まず、増田ユリヤ著『世界を救うmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコー』(ポプラ新書 ま 1-2)は、カリコー女史の業績を早々と紹介した書籍で、山中教授へのインタビュー記事も収載している。次に、少し古くなるが、キャリー・マリス著『マリス博士の奇想天外な人生』(福岡伸一訳、早川書房 NF、2004年)は、PCR検査の発明でノーベル化学賞を受賞した奇人変人の生化学者、キャリー・マリスの自伝である。PCR検査はウイルス遺伝子の断片も拾う鋭敏な検査のため、彼は感染症の診断に使ってはいけないと言ったが、PCR検査は半定量的な一面も持ち、Ct(サイクル閾)値はウイルス量と反比例する。COVID-19の流行当初、他国に比べ陽性限界Ct値を高く設定した我が国では、感染性が消失してもPCR検査が陰性化するまでは退院できないというようなナンセンスなことが罷り通った。マリス先生の戒めを理解でなきなかったという訳である。そして、最後に明石順平著『全検証コロナ政策』(角川新書K-430)を加えておきたい。著者は医師ではないが、医療経済等を含むあらゆる面でのパンデミックの総括を試みた好書である。
もとより、購書癖を自認する身ではあるが、今回は流石に積ん読することは少なく、また、購入したばかりの新書を資源ゴミとして、我が家の山の神から打ち捨てられることも幸いになかった。その結果、購入した多くの良書をじっくりと読むことができた。当医師会報の3月号では、COVID-19パンデミックに対して行われてきた新潟市医師会の特筆すべき対策が特集記事として掲載された。自分なりのパンデミックの総括である「マイCOVID-19ライブラリィ」を整理して読み返す作業も、地球温暖化に歯止めのかからない現代、新たな新興感染症の勃興に備えてますます重要になることを肝に銘じ、稿を終えたいと思う。