笹川 基
昨年は、時代小説の巨匠・司馬遼太郎の生誕100周年にあたる。
司馬遼太郎は、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)蒙古語学科卒業後、満州に学徒出陣する。終戦を迎えて帰国後、新聞記者として活躍していたが、33歳で作家デビューし、4年後『梟の城』で第42回直木賞を受賞する。戦国時代、動乱の幕末、近代国家への歩みなどをテーマとした40編に及ぶ長編小説の他、短編小説、随筆、紀行文など、多数の作品が遺されている。
私も『新史太閤記』『関ケ原』『燃えよ剣』など30冊以上の小説をこれまでに読破した。NHK大河ドラマで「どうする家康」が放映されたが、戦国三英傑のなかで、織田信長、豊臣秀吉に比べて徳川家康の生涯を描いた作品は少ない。265年にも及ぶ泰平の徳川時代を築き上げた家康の物語『覇王の家 上下』を紹介する。
「覇王の家」とは、徳川家のことを指す。今川家の人質として駿河で過ごした不遇の幼少期から、天下統一を成し遂げた徳川家康の生涯が、司馬遼太郎の目線で描かれている。
織田信長が暮らした豊穣な尾張と比べ、家康が生まれ育った三河は山地が多く土地も痩せている。国人は質朴で困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる。こうした三河衆の気質が徳川家でも受け継がれ、長く日本を支配する根底になったと司馬遼太郎は強調する。
正室・築山殿と家康との不仲なストーリーが面白い。駿河を治める今川義元の姪であり、10歳年下の人質・家康を見下しており、出会いのときから二人の仲は冷めていた。家康は三河岡崎から遠州浜松に移城した際にも、築山殿を長男信康が城主となった岡崎城に置いてゆく。浜松城では多くの側室が家康の世話をし、夜伽をした。
築山殿は、信康に嫁入りした織田信長の長女徳姫とも嫁姑仲が悪く、信康に甲州女の寵姫をつくらせる。築山殿は武田家との同盟画策を目論み、家康と信長の殺害を企てるが、徳姫から父信長の耳に入り、信長から家康に、信康切腹と築山殿殺害が命じられる。
武田信玄が築き上げた武田家の版図は甲州、信濃、駿河、遠江、三河、上州、飛騨に及ぶ百二十五万石であり、織田・徳川同盟にとって最強敵国であった。父信玄の跡を継いだ勝頼率いる武田軍と織田・徳川連合軍との戦いの中で、家康の戦略が奏功し勝利する。その恩賞として駿河が与えられ、家康は三河、遠江とを合わせ七十八万石の大名となる。
帰路、凱旋する信長を、家康は遠江、三河へと招き、最高のもてなしをする。返礼として家康は京都、堺へ招かれるが、堺滞在中に本能寺の変が勃発する。家康はわずか30名の供と伊賀越えをし、伊勢から舟で三河に辿り着く。
参戦のため京に向かう家康のもとに、羽柴秀吉から明智光秀を討滅したとの知らせが届き、遠江に引き返す。武田家滅亡により支配者がいなくなった甲州、そして信州を家康は併合する。
秀吉が天下人となった後も、家康は「ひたぶるに実直」な三河気質を重んじて行動した。
20年にわたり武田の大軍勢に屈しなかった家康の履歴を知り抜いていた秀吉は、家康の懐柔につとめ、家康もこれに呼応した。しかし、近畿圏から中国・山陰地方を傘下に収めた秀吉を、家康は恐れ、尾張の織田信雄(織田信長次男)と同盟し、秀吉軍来襲に備えた。
長久手の戦いでは、家康は戦場諜報を駆使し、戦功を求めて集まっている秀吉の混成部隊を打ち負かすが、再び秀吉軍と家康軍との睨み合いが続く。
秀吉の調略にのり織田信雄が秀吉と単独講和したため、家康は敗戦していないものの秀吉の意向に従い、庶子の於義丸を人質として秀吉のもとに送る。
しばらくの間、秀吉に対して家康は沈黙を守る。家康は諸将を集め、臣従を求める秀吉への対処法について語り合うが、小牧・長久手の戦いでの戦勝者家康が戦敗者秀吉に臣従することに賛同するものはなく、「秀吉を相手にせず」とする浜松評定が成立する。
舞台は飛んで大坂夏ノ陣のあと、豊臣家が滅亡した家康晩年へと移る。家康は生涯健康で、昼は鷹野に駆け巡り、夜の閨にも衰えがみえない。58歳で義直(尾張徳川家の祖)、60歳で頼宣(紀州徳川家の祖)、61歳で頼房(水戸徳川家の祖)が誕生する。
75歳になった家康を腹痛が襲う。家康は駆け付けた侍医の手を払い、十数段の抽出のついた薬箪笥から万病丹を取り出し、口にする。家康は日頃より医書や薬剤書で学び、人並み外れた健康志向を持っていた。胃がんの病状は一進一退を繰り返したが、三百諸侯に見守られ駿府城にて他界した。死後、家康の意向通り遺体は久能山に葬られ、増上寺で葬儀が執り行われる。位牌は三河大樹寺に納められ、一周忌ののち日光山に小廟が建てられた。
司馬遼太郎の小説は、自宅の蔵書約6万冊など、想像を絶する量の知識に基づき描かれている。資料集めへの情熱はすさまじく、巨額の資金が投じられたとされている。
戦さのない平和な江戸時代を築き上げた徳川家康の小説の中で、司馬遼太郎が一番強調したかったのは、「ひたぶるに実直」な三河武士の気質であるような気がする。「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」の意味が、少し理解できた。
『覇王の家 上下』
著者 | 司馬遼太郎 |
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発行所 | 新潮社 |
ISBNコード | 上 978-4-10-115238-7 下 978-4-10-115239-4 |
発行日 | 平成14年4月20日 |
定価 | 上下各670円(税別) |
(令和6年8月号)