白柏 麻子
日頃、文学とは疎遠な生活を送っている私に、不本意ながらコロナは、静かにゆっくりと読書するという機会を与えてくれました。ネットの情報によると、外出自粛を強いられたコロナ禍で、多くの人が、この『ペスト』を読んだそうです。パンデミックの恐ろしさ、死と隣り合わせになった時の人間の行動がどのようなものかを小説の中に求め、今の自分が、どう生きていったらいいのかを考えたくなったのだと思います。
この本の舞台は、かつてフランスの植民地であったアルジェリアのオラン市で、作者であるカミュの生地です。中世ヨーロッパで人口の3割以上が死亡したという伝染病ペストを通じ、追い詰められた人間の欲望、人生の不条理を、どこか非情な目線でとらえた、フィクション小説です。
物語は、一匹の死んだネズミに違和感を覚えた医師リウーの登場で始まります。その後、ネズミにとどまらず人間へと拡大していく奇病に、しばらくしてから、ペストが原因していると気づかされ、町は封鎖されるのです。当初は楽観的であった市民たちも、感染による死者が増え続けていく中で、ペストにひれ伏してしまうのですが、賃金の高い看護人や、墓堀り人夫に事欠くことはなかった、つまり、困窮の方が恐怖より常に勝っていたということです。やがて、ペストとの戦いが長引くにつれ、人々は疲労困憊し、絶望にも慣れ、不幸と苦痛の感覚が鈍化して、人間本来の姿を失っていきます。そんな中、医師リウーと保健隊のメンバーたちがペストと戦い、ついに、頂上平坦線に到達した後、しばらくしてペストから解放される日が来るのです。このペストとの戦いの姿勢は、必ずしも一様ではなく、多くは、ペストにひれ伏して諦めてしまう者たちですが、中には、投獄を覚悟で町からの脱出を試みる者もいれば、享楽に走る者もいたりと、人間は、様々な反応を示すのです。
最後にカミュは、次のような言葉で物語を締めくくります。
ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びそのネズミどもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。
文学性の高い作品であるがゆえに、コロナ禍におかれた我々の実体験とすぐに照らし合わせて考えることはできません。この小説が書かれた時代背景から、ペストはナチズムの象徴であり、作中に出てくるペストに対する市民活動は、自らも身を投じたレジスタンスを投影したとも、論評されています。最後に載せた文章から考えられることは、人間は不幸と隣り合わせで、いつ何時、不幸に見舞われるかもしれないということです。コロナを経験した今、まだ、完全に過去形にしてしまうわけにはいかない現実の中で、とりあえずは、今を楽しみ、もし万が一の時に戦うことができる強いメンタルと体力を持つよう、努力していきたいと思います。
『ペスト』
著者 | カミュ 宮崎嶺雄 訳 |
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出版社 | 新潮文庫 |
出版日 | 昭和44年10月30日 |
定価 | 850円(税別) |
(令和6年11月号)