木村 洋
本書を読むきっかけは、「私失敗しないので」の決めセリフで人気を博したTVドラマ「ドクターX」。そのドラマで理不尽・不合理な医局制度に立ち向かうフリーランスで一匹狼のスーパードクターを見事に好演したのが米倉涼子です。その彼女が主演したNHKドラマ「エンジェルフライト(国際霊柩送還士)」の再放送を見たことによります。主演の米倉涼子はこの作品で俳優人生において最も短いヘアスタイルにしたそうで、彼女の意気込みが伝わります。エンジェルハース社(本書ではエアハースインターナショナル社)の伊澤那美に扮し、人並外れた情の深さと持ち前のパワーで周囲の人々を巻き込みながら、異国でいろいろの事情で亡くなった人の遺体や遺骨を国境を越えて故国へ送り届け、「必ず遺体と遺族に最後の別れをさせてあげる!」と信念を貫き通す物語でした。その彼女の演技とドラマの内容に圧倒されました。
「国際霊柩送還」という言葉もこのドラマで初めて知りました。さらに、このドラマは小説を元にしているものと思っていましたが、原作を調べるとドキュメンタリーをベースに作られたものであると知り、二重に驚きました。その作者とドキュメンタリーに興味を持ち購入しました。
私自身海外旅行に出る時は旅行保険に入りますが、漠然と事故にあったらどうなるかはあまり深く考えません。まして異郷の地で亡くなったら一体どうなるのかを考えたことはありませんでした。
冒頭から国際霊柩送還士の姿が描かれています。「深夜の羽田空港国際貨物ターミナルは閑散として人影がない。…海外から搬送される遺体は航空機内の気圧の影響で90%以上が体液漏れを起こす。…蓋を開けた途端に強烈な腐敗臭が立ち上る。魚やネギが腐ったような臭いにこみあげてくる胃液の甘酸っぱさが入り混じり、臭いに敏感な者は反射的に何度も戻しそうになる。…だが不思議なことに彼らから臭いの話を聞くことはほとんどない。記憶から飛んでしまうのだ。…」このように始まります。そして海外で交通事故に遭った日本人男性の遺体処理(エンバーミング=防腐処理)の姿が描かれます。家族が亡くなったというだけで遺族にはショックが大きい。さらに亡くなった人の尊厳を踏みにじるような搬送による遺体と対面する遺族のショックは計り知れないものとなると。
本書はエアハースインターナショナル株式会社(以下エアハース社)への取材を基に書かれています。各章ごとにエアハース社の人々に焦点を当て、人となりや仕事内容を浮き上がらせるように描いて進んでいます。その構成も見事だと思います。
例えば紛争地で紛争に巻き込まれ、あるいは事件・事故で命を落としたり、現実にはいろいろの事情で海外において亡くなる人はいます。いろいろの困難や障害をクリアしながら、国境を越えて遺体を故国の家族に送り届ける「国際霊柩送還士」を克明に描いています。どんな姿でもいいから一目だけでも最後に会いたいという遺族に寄り添い、あらゆる障害を乗り越え、時には大きく傷ついた遺体にエンバーミングを丁寧に施し、一刻も早く綺麗な遺体を送り届けたいと奔走する姿。亡くなった人と遺された人とのお別れの瞬間を紡ぐこと。彼らが一番大切にしていることは、遺された人に最後のお別れの場を提供して、とことん悲しんでもらい、その後の人生を前向きに生きてもらうこと。そして“赦し”。
故人と遺された人の間には生前に言えなかったわだかまりがあり、最後にそれを解きほぐすのがお別れの場であり、“赦しの場”とも言える。残された人たちが前向きに生きていけるようなレクイエムとしてのドキュメントと言えます。死は非日常だと言うが、そんなのはただの幻想で、「死はすぐ『すぐ隣にあるもの』」だと…。
著者の取材力・対象に迫る眼力に感心します。そして、本書には彼女の死生観が表れているように感じます。それは彼女が他の著書で度々肉親との別れを書いているから感じるのかもしれません。また、彼女の人に対する優しさを感じる文章にも胸を撃たれました。
まさに愛する人を突然なくす悲しみや、“死”とは、“別れ”とは何かを真正面からとらえた作品と感じました。
佐々涼子は1968年生まれ。日本語教師を経てフリーライターに。2012年本書で第10回開高健ノンフィクション賞を受賞。2014年に発行の『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』で紀伊国屋書店キノベスト1位、ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR第1位、2020年『エンド・オブ・ライフ』でYahoo!ニュース/本屋大賞2020年ノンフィクション本大賞に輝いています。『夜明けを待つ』では自身の悪性脳腫瘍を告白し、闘病についても語っていました。この原稿を書いている時(9月3日付け新聞で)彼女の訃報に接しました。ご冥福をお祈りいたします。
『エンジェルフライト(国際霊柩送還士)』
著者 | 佐々涼子 |
---|---|
出版 | 集英社文庫版 2023年7月12日 |
定価 | 620円+税 |
(令和6年12月号)