山崎 佐和子
振り返ると、中学、高校時代は電車通学をしていて、約30分の読書時間は憩いでした。働きだしてから医学文献や診療に関する本を読むことが多くなり、趣味の読書はかなり減っていました。子育てが始まると、自分の方が子どもより早く寝落ちしてしまうような日々で、読書からほぼ遠ざかってしまいました。育児のバタバタは終わり、ここ数年、ようやく自分の趣味的な読書時間を持てるようになってきました。そんな私の最近読んだ小説から、瀬尾まいこさんの「夜明けのすべて」をご紹介します。実は、映画を観たことが始まりで、エンドロールで原作が瀬尾まいこさんと知り、すぐ小説を購入、一気に読み進めたといった次第です。瀬尾まいこさんは、「そして、バトンは渡された」で、2019年本屋大賞に選ばれています。私は、「夜明けのすべて」の方がよりしっくり、いいなと思いました。
月経前症候群(PMS)で月経前の数日、感情コントロールすることが難しく、突発的な怒りがこみあげ、周囲にあたってしまう美紗と、パニック障害のため外出もままならず、気力を失い、自宅と職場を往復するのが精一杯の山添君、若い二人の日常のお話です。二人とも前の職場で勤めることができず、転職先の栗田金属という社員六名の小さな会社で出会います。この栗田金属の社員さんたちが二人をおおらかに受け止めてくれ、物語がすすみます。
「ボヘミアン・ラプソディ」の映画をめぐるエピソードは二人の関係を深めていきます。山添君は、疾患ゆえに、電車に乗ることができず、映画館に入ることもできません。一人で観にいった映画、「ボヘミアン・ラプソディ」の感激を山添君にも伝えたいと思った美紗は、山添君の自宅へ押しかけ、携帯でクイーンの音楽を流し、歌い、ストーリーを語りまくります。映画館で映画を観ることのできない山添君の状況を逆手に、ネタバレしてもいいよねと遠慮がありません。普段は、うすぼんやり覇気のない山添君ですが、クイーンの楽曲を英語ですらすら歌いだします。「すごい、すごいよ。山添君、フレディだ」美紗は高揚します。山添君も病前の自分にすこし戻れたようでした。外出が不安な山添君ですが、夜道をいっしょに歩き、美紗を駅まで送ります。この時間、二人はそれぞれの疾患の存在を払拭できないなかでも、いきいきとおしゃべりしています。お互い記憶に残る出来事になったのではと思いました。それから、二人は、自分もしんどいけれど、自分と違う種類のしんどさを想像して、支えあう関係が育ちあい、心の状態もすこしずつ変化していきます。その後の展開は是非、読んでもらいたいです。
小児科医なのでこの二疾患の方々の診療をした経験は少なく、自分自身の実体験もあまりなく、診療の描写部分は、それほど違和感なく読むことができました。医療のウエイトは大きく描かれていませんが、山添君の心療内科の先生は、終盤に山添君の上向きのタイミングで、減薬をやんわり提案されていました。子どもの発達診療に関わっており、山添君と担当先生とのやりとりは、なるほど、すこし診療にいかしてみたいなと思う部分もありました。
平穏に生活していても、なんだかすこしずつ疲れは溜まってきて、閉塞感を感じてしまう日もあると思います。そんな時、ページをめくって二人の会話を読むだけで、かなりのデトックス効果があります。簡単な文面でさらさら読めます。1日の終わりにおすすめの一冊です。
『夜明けのすべて』
著者 | 瀬尾 まいこ |
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出版 | 文藝春秋 |
出版日 | 2023年9月5日 |
定価 | 803円(本体 730円) |