山本 光宏
2019年12月4日、アフガニスタン東部ジャラーラーバードで、「ペシャワール会」の医師・中村哲先生が移動中に何者かに銃撃され、帰らぬ人となりました。その知らせは日本中を駆け巡り、多くの人々に深い悲しみと衝撃を与えました。
彼が生涯をかけて取り組んだのは、単なる医療活動ではなく、人々の命と尊厳を守る“生きるための支援”でした。
本書『ペシャワールにて』は、中村先生が1984年から1991年にかけて、パキスタンのペシャワール・ミッション病院を拠点に行った医療活動を記録した貴重な書です。
主な内容は、ハンセン病(当時の呼称で「癩病」)患者への治療と予防、アフガニスタン山岳地帯での巡回診療、そしてアフガン難民への支援です。現地の厳しい実情が、具体的な記録として綴られています。
なかでも注目すべきは、記述の根底に流れる「寄り添う医療」の精神です。単に病気を治療するのではなく、患者の暮らしや文化、心情に深く入り込み、地域社会とともに医療を根付かせようとする中村先生の姿勢が、一行一行からにじみ出ています。
私はかつて、福岡の病院で中村先生と同じ医療機関に勤務していたことがあり、そのご縁で1980年代半ばにペシャワール会に入会しました。もともと海外医療に関心があった私は、現地での活動に強く惹かれるものを感じ、10日間の休暇を利用してペシャワールを訪れる決意をしました。
出発前、ペシャワール会から「現地活動資金として1万米ドルを直接スタッフに届けてほしい」という依頼を受けました。当時のパキスタンは政情が不安定で、銀行送金が確実でなかったため、現金を人づてに届ける以外の手段がなかったのです。
私はビーマン・パキスタン航空でイスラマバードに向かい、そこから車で約3時間かけてようやくペシャワールに到着しました。
滞在中は毎日、スタッフに付き添って病棟回診や外傷患者の処置の手伝いをしながら過ごしました。また、時にはスタッフと一緒にバザールに出かけ、町の空気や人々の暮らしに触れながら、現地の雰囲気を肌で感じることができました。短い期間でしたが、日本では得られない、貴重で深い体験となりました。
当時、ペシャワール・ミッションホスピタルでは、ハンセン病患者の治療として、主に足底の皮膚穿孔症(足裏の潰瘍)の処置と安静指導が行われていました。治癒した患者は、基本的に出身の村へ帰されましたが、感覚の喪失や病識の欠如によりすぐに再発し、入退院を繰り返すケースが多かったのです。これがペシャワール会の財政負担を大きくしていました。
この状況を見て、中村先生は「底の厚いハンセン病患者専用サンダル」を開発し、安価で患者に提供するという取り組みを始めました。この工夫は功を奏し、患者の再発を防ぐだけでなく、財政的な負担も大幅に軽減することができたそうです。
その後、中村先生は活動の拠点をアフガニスタンへ移し、医療だけでなく用水路建設や農業支援といった、「命を支える仕事」へと取り組みを広げていきました。彼の哲学は、単なるボランティア精神ではなく、「人間の尊厳を守る実践」であり、誰よりも地に足の着いた支援を貫いた人でした。
彼の死をもって物語が終わることはありません。ペシャワール会の現地スタッフたちは今もなお、彼の遺志を受け継ぎ、活動を続けています。
『ペシャワールにて』は、中村哲という人間の原点に触れられる一冊であり、医療人として、そして人として、「国境を越えて誰かのために生きるとは何か」を深く考えさせてくれる貴重な記録です。
『ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民』
著者 | 中村 哲 |
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発行所 | 石風社 |
発行年 | 1989年(増補版 1992年) |
ISBNコード | 978-4-88344-008-4 |
価格 | 本体1,800円+税 |