黒田 千亜紀
犬のお散歩は早朝や夕方のイメージが強いかもしれません。しかし犬はとにかく暑いのが苦手だし、私も紫外線を浴びたくないので、6月から10月はもっぱら夜のお散歩になります。誰か撫でてくれる人を探して繁華街に行こうとする犬に対し、涼しい風を求めて川岸を目指す飼い主。かぐわしい香りに溢れる川沿いの土手は犬にとってもお気に入りの道です。
ちょうどその季節、よく晴れた夜に、何年か前から天体望遠鏡を置いている方を見かけるようになりました。信濃川の左岸から右岸方向の夜空を見上げ、月や惑星を解説付きで見せてくれます。
子供の頃、見附の天体観測ドームに月を見に行った思い出がよみがえりました。長年高校の地学の先生をしていた母の従兄弟が見附にドームを作り、月の観測を続けていたもので、今思うとその熱意は相当のものでした。月面にも地球のような地図があり、さまざまな名前のついた「海」と呼ばれる場所があることを知ったのもその時でした。
帰り際、何冊かの天体関係の本をくれたので、いっとき天体の世界に引き込まれそうになりましたが、結局私は生物の観察の方に強く惹かれて、生物部にハマっていきました。
私にとっての夜空は、数多の天体が存在する宇宙というより、それを見つめて思いを巡らせてきた人々の、文化や心の動きを映す鏡のようなものに思えます。難しい天体の本には特に心躍るものもなく、見上げる夜空にこんなに興味があるのに、もどかしいような残念な気持ちがありました。そんな気持ちで書店の天文関係の棚を探っていた時、表紙の「宵の三日月」の写真が目に留まりました。
『月と暮らす。』は、もともと理系学部卒ではなく、月・星の美しさに魅せられた芸術家と言った方が良いかもしれない藤井旭さんが、6年前に発行された本です。とはいえ、藤井さんの天文学の博識は疑うことのないもので、一般向けに天文ファンへの導入を促すような著書がたくさんあります。『星になったチロ』の作者としてご存知の方も多いかもしれません。
「天体写真の分野では、国際的に広く知られている」作者の視点で作られたこの美しい本は、文化と科学がさらりと融合しています。夜空に浮かぶ月を分析したいと思い立った人、そこに物事の摂理を感じる人、月に心の動きを映し文学にする人・・・月を見上げて物思うすべての人の気持ちに寄り添う本のように思います。
目次を見るだけで、作者の月に対する造詣の深さが伝わります。
しかも全てのページが美しいカラー写真と挿画で彩られています。
芸術、文学、歴史、もちろん天文学。
唯一コラムのページに、「震度7の激震によって本書の月の写真の数々を撮影した望遠鏡は倒壊しました。」として、白河天体観測所の惨状の写真が小さく掲載されていて、心に刺さります。
しかしそれも、あくまでも科学的な視点で、地震に対して月震というものがあることを淡々と述べ、「継続時間が数十分間と長いのが特徴で”月はベルのように鳴る”とたとえられます」と締め括られています。
この本は・・・
月を見上げた人の疑問に科学的に答え、月への理解を深める。
恒久的でありながらどこか危うい月に惹かれ、歌を詠み、物語を語る人々に共感する。
洋の東西を問わず、それぞれが夜空を見上げ、月に思いを重ねてきた年月を知る。
地球は月と引き合い、生物は潮の満ち引きに導かれて生きる。
・・・そんな、月にまつわる全てに思いを馳せる道標になります。
月の美しい夜に、今夜の月は何故あんなふうに見えるのだろうと気になったら、ふと手に取ってみたくなる一冊です。
『[新版]月と暮らす。月を知り、月のリズムで』
著者 | 藤井 旭 |
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出版 | 誠文堂新光社 |
発行日 | 2019年7月17日 |
定価 | 本体1,760円(税込) |
(令和7年8月号)