浅井 忍
本書は空前の人気を博した映画『国宝』の原作者の恋愛小説である。
書き手の大学院生の岡田一心はゼミの教授から日給1万円のアルバイトを紹介された。仕事の内容は昭和の大女優・和楽京子が物置として借りているマンションの荷物整理である。和楽京子の本名は石田鈴、鈴さんと呼ぶことになった。ちょっとした森の先に鈴さんのヴィンテージ・マンションはあった。部屋はマンションの4階の半分を占める。ちなみに軽井沢には別荘がある。鈴さんは風呂から上がったように血色がよく、80歳代の女性とは思えないほど艶めかしい。目は大きくて黒目が澄んでいる。吸い込まれる目とはこのような目をいうのだろうと一心は思った。物語は、鈴さんの少女時代から現在までがつづられ、二人の日常のやり取りが挟み込まれる構成になっている。
「散歩に出かけるところなのよ、ウォーキングにつきあいなさいよ」と鈴さんから言われて、二人は国会議事堂をめざして歩いた。「ランチしましょ」と憲政記念館に入っていった。鈴さんは常連らしく、Aランチを頼んだ。「奢るわよ」と言う。客は誰もいなかった。広いところが好きだという。
戦後数年経った頃に、鈴さんは映画会社からカメラテストのために上京するようにと連絡を受けた。長崎から上京して、デビュー作の『梅とおんな』に出演する。日本人離れしたグラマラスな肉体は、日本人はもちろん世界の観客を魅了することになる。鈴さんはスターとなり戦後のカリスマとなっていくが、正統派というよりも汚れ役であり、エロティック・シンボルという役柄だった。1950年代、カンヌ映画祭で主演の『竹取物語』がグランプリに輝き、主演女優賞も獲った。海外の映画祭で日本映画が賞を獲ったことは、当時の日本国民にどれほどの矜持と自信を蘇らせたのは想像に難くない。鈴さんは、カンヌ映画祭で友禅を着た姿を披露し、帰国した時も着物姿で現れたのである。この着物姿で彼女の世間の見方が変わり、性的なイメージは払拭された。彼女は、当時の大臣、人気力士、有名な日本画家、文豪、来日したハリウッドスターなどの各界の著名人と立て続けに対談をした。対談をすべて着物を着てこなした。
1950年代の終わりに、彼女が3年ほど暮らしたビバリーヒルズの家はそうそうたる映画スターたちの家々が立ち並ぶ通りにあった。巨大映画会社アメリカンシネマ社から鈴さんに与えられた呼称は、ミス・サンシャインである。『さくら、さくら』が全米で大ヒットした翌年、彼女はアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたのである。しかし、賞は獲れなかった。ハリウッドにいた3年8か月の間に、彼女は8本の映画に出演している。日本に帰ってから千家監督は彼女の三部作を撮っている。この頃が彼女にとっても日本の映画界にとっても、黄金時代の最後になる。東京オリンピックの興奮が醒める頃になると観客たちの興味は映画からテレビに移っていく。彼女はテレビのホームドラマに出演するようになって、主婦の不倫をテーマしたドラマ『日曜日の欲望』に出演する。そのドラマは社会常識や倫理観について賛否両論の議論が巻き起こり社会現象となった。『日曜日の欲望』は『おしん』とトレンディドラマが始まるまで視聴率のトップを走り続けた。彼女にアメリカのアカデミー賞のプレゼンターのオファーがきた。外国人映画賞のプレゼンターだった。結局、プレゼンターは辞退するのだが、一心は荷物を整理していて鈴さんが50年前に書いたスピーチの原稿を見つけた。
「鈴さんと一緒にいると時間を得した時の気分になるんですよね」と一心は本心を述べた。「鈴さんって、ずっとみんなの憧れの的だったんでしょうね。きっと子供のころから」と言うと、「目立ちたがり屋の自分ではなく、親友の佳乃子ちゃんの足元にも及ばなかった」と鈴さんは答えた。
戦後40年の節目に製作されたNHKの番組で、鈴さんは被爆体験を話している。鈴さんと佳乃子ちゃんは子供のころいつも一緒だった。鈴さんも美人だったが、佳乃子ちゃんは抜群に可愛らしくて、遠くの町から彼女を見に来る人がいるほどの美人だった。1945年8月9日、鈴さんと佳乃子ちゃんは爆心地から2kmの場所で被爆した。進駐軍にジェームス野田というカメラマンがいて、被爆の翌年長崎に来た折、野田の写真を撮らせて欲しいというオファーに、佳乃子ちゃんは承諾しない。一緒にいた鈴さんが「うちも一緒に行ってやるけん撮ってもらわんね」と佳乃子ちゃんの背中を押したらしい。野田は二人がてっきり姉妹だと思い込んだ。二人を撮ってそのあと、佳乃子ちゃんを日の暮れるまで撮ったらしい。東京に帰ったジェームスは、佳乃子ちゃんに女優としての話を持ちかけると、すでに婚約していて、ならば鈴さんにと白羽の矢がたったらしい。そして、鈴さんは長崎から上京することになる。そのあと、鈴さんは体調を崩すが原因は不明とされた。看病に佳乃子ちゃんが上京して3ヶ月滞在するのだった。長崎に戻ってしばらくすると佳乃子ちゃんは娘を産んだ。そのあと彼女は原爆症を発症し、やがて白血病に犯されて死に至るのだった。
鈴さんはミス・サンシャインというキャッチフレーズに嫌悪感を露わにしている。一見愛らしく響くこの言葉の裏に、被爆者である彼女を米国社会が揶揄しているのが伝わっていたのである。「テレビのショーで、私を呼び込んだ司会者が、まるで伝染病患者を扱うように一歩退いたの。悔しくって涙が出そうだったわ」と語っている。そして、日本を代表する大女優は、紫綬褒章を受け引退間際には文化勲章を授かっている。新橋演舞場で上演された『わてら』の舞台を最後に引退する。
「軽井沢に一緒に行かない」と一心は鈴さんに誘われる。「別荘から持ち帰りたいものがあるので車で行って、一泊しようと思っている」という。助手席に大女優を乗せて、スポーツカーで2時間半かかった。別荘の静かな夜は眠れなかった。一階に降りると、鈴さんも眠れないで起きていた。「映画に出てくる鈴さんを僕は本気で好きなんだと思うんです。それは胸が苦しくなるくらい」と一心が告白する。「でも、目の前にいるのは、おばあちゃん」と鈴さんが言う。「年齢なんて関係ないですよ。最近、夜、眠れないと、鈴さんのことばかり考えているんです」と一心が言った。
一心が鈴さんの家に通っていたのは半年に過ぎない。軽井沢の別荘での鈴さんの対応は終始大人の対応であった。帰京すると鈴さんからの連絡がなくなった。一心は便箋10枚におよぶ手紙を送った。「いっくんからの宝物いただいたのね」と返信にあった。軽井沢に泊まった夜に、「どうして佳乃子ちゃんのことを語らないのですか」との一心の問いに、鈴さんは「私が話せば彼女は影になる」と答えた。返信には、「理解してもらえると思っていなかったけれど、手紙を見て私の気持ちを理解してくれていたのだと気がつきました」とあった。鈴さんのアカデミー賞のスピーチの原稿が同封されていた。
一心は身重の妻とアパートの2階に暮らしている。朝、階下の目覚まし時計に起こされてテレビをつけると、和楽京子が亡くなったとのニュースが流れた。大スターの死はあっけない扱いだった。
そして最後にこう結ぶ。鈴さん、あなたのことが好きでした。鈴さん、あなたのことは忘れません。鈴さん、そして佳乃子さん、僕たちはあなた方のことを決して忘れません。

『ミス・サンシャイン』
| 著者 | 吉田 修一 |
|---|---|
| 出版 | 文春文庫 |
| 発行 | 2025年8月 |
| 定価 | 本体770円(税込) |
(令和7年11月号)