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新潟市医師会報より

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『大作曲家の病跡学 ベートーヴェン、シューマン、マーラー』

熊谷 敬一

病跡学は精神医学の一分野であり、歴史的に著名な人物を精神医学の観点から研究し、その業績との関係から疾病ないし病理性の意義を明らかにしてゆくものである。天才と狂気との密接な関係については古代ギリシャの昔からいろいろと述べられてきた。このテーマを精神医学的に初めて取り上げたのはドイツの精神医学者メビウスである。「病跡学 Pathographie」という言葉も彼によって1907年に作り出された。

病跡学の対象は主として芸術家や思想家である。私の恩師である元新潟大学医学部精神科教授の故飯田眞先生は、精神病理学がご専門であったが、科学者を対象にした病跡学研究を行った。微分法、万有引力等を発見したニュートンは、世界の本質を無媒介的、直感的に捉えるという点で、統合失調症圏に属する病者に特有の世界の捉え方をしたという。一方『種の起源』を著したダーウィンはニュートンとは対照的に、現実に密着し、着実に観察と経験を深め、帰納的なやり方で世界の部分について具体的な結論を引き出す。このような世界の捉え方は、双極症圏に属する人々にしばしばみられるとのことである。

本書には3人の大作曲家について検討した研究が記されている。著者によると、音楽は目に見えず音が聞こえてもすぐに消えてしまうので、研究を論文にする際には問題とする部分の楽譜を提示することで間に合わせるしかなく、この点が他の芸術分野と比較して最大の困難を生じており、音楽を対象にした研究が大幅に立ち遅れている理由となっていると述べている。

まずはベートーヴェンについてである。生涯が逆境にとりまかれており、自殺の危機さえあったが、それに対して不屈の強い意志で立ち向かい克服していったことが特徴的である。最も過酷だったのは31歳時の聴力の喪失である。よりよく生きたいという完全欲がきわめて強かったため、耳の障害により創造意欲を停止しなかった。努力を必要とした才能であったため作曲に多くのエネルギーを要し注意と集中力を持続させなければならなかった。そのことが向上力への意志を持続させることとなり、聴力障害によって創造活動を放棄することはなかった。また、「かくあるべし」という強迫性の心性が防衛機制として現れ、逃避や抑うつにはならなかった。

シューマンは、16歳のとき、姉が自殺しその直後にショックで父が亡くなり、それ以降精神症状が認められるようになった。初めに、抑うつ、錯乱の発作、自殺恐怖などが出現したが、音楽活動を著しく障害するものではなかった。30代になり、幻聴と各種恐怖症状が現れるようになった。40代にはさらに悪化し、44歳でライン川に投身自殺企図をして、46歳で精神科病院に入院中に亡くなった。診断については断言することはできないが、統合失調症性の病態である。しかし、20年以上にわたって作曲活動を続けることができたことから、初期から統合失調症性の症状があらわれていたことは否定的であり、神経症性であったが後になって統合失調症性の病態に移っていったと考えられる。20代から30代の作品がひときわ高く評価される天才的な芸術性に到達していたのだが、40歳以降は一挙に衰退を示してゆく。

最後はマーラーだが、他に見られない独創的で個性的な音楽性から、今まで数多くの音楽学者や音楽評論家が音楽や生活史を研究してきた。精神医学者による検討も少なくなかった。例えば次のように形容されている、恐怖、狂気、完璧主義者、不安と絶望、双極性うつ病の性格、自己耽溺趣味、感傷主義、不気味で不安、退行、逃避、パラノイア性、自己中心性、統合失調病質などである。そして、著者は「交響曲第一番ニ長調」を検討した結果、この曲の病理性は統合失調症性の範疇に入ると分類した。一貫して持続する不気味で異様な緊張感、決して爽快でない高揚、現実をはるかに超越する曲想、多種多様な楽器の使い方などである。そしてマーラーは統合失調症の前駆状態であったが、創造活動の中で病的な世界を描くことにより病理性を作曲の中に表現し、4年間かけて完成し名曲に仕上げることができたことにより、現実の統合失調症の発病をまぬかれたと結論している。

関連図書
『天才の精神病理 科学的創造の秘密』
飯田 真・中井久夫共著、岩波現代文庫

『大作曲家の病跡学 ベートーヴェン,シューマン,マーラー』

著者 小松 順一
出版社 星和書店
発行日 2017年11月9日
定価 本体1,800円(税別)

(令和7年12月号)

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